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僕は、誰かの心に傷をつける作家になりたい。

「僕のせいで 死んじゃえばいいよ」

大好きなバンド、凛として時雨の名フレーズ。
初めて聞いた時の衝撃を、僕は忘れない。

僕も、こんな言葉を叫ぶような作家になりたい。
誰かの心を不意に、傷つけるような。

傷つけると書くと、
なんだか嫌な風に聞こえる方もいるかもしれない。
実際そうであることも、僕は否定できない。

ではなぜ「誰かの心を傷つける作家」になりたいか。
僕はこう、考える。

人の心はむき出しだ。
目も耳も常に塞いでいるわけにはいかないから。
いつだって現実は人の内側にヌルッと入ってきて。
いとも簡単に心に突き刺さる。

そのときの心の修復速度は、
それまでに負った傷の量に比例すると僕は考えている。

要するに、「傷ついた経験」がモノを言う。

傷つけられるごとに、心の修復力は上がる。
冒頭に書いた凛として時雨のフレーズも、
今の私の心に、衝撃を与えることは、もうない。

同時に、この言葉を超えるフレーズでなければ、私の心に衝撃を与えることもない。

心に受けた傷は、心の修復力を上げ、
そして、ほんの少しだけ、強くする。
悪く言えば鈍感、良く言えば強靭に。

私が、「心に傷をつける作家」になりたいのは、
こういった理由からだ。

現代社会は厳しい。
生まれ持ったものだけでは、
もう絶対に闘うことはできない社会だ。

ありのままに生きることは、簡単じゃない。
当たり前でもない。

人と人が織りなす現実は、
コットンのように肌触りの良いものばかりではない。


出たとこ勝負、それで生き死にが決まることもある。

整ったように見せかけた社会だが、
実際は魑魅魍魎跋扈する、弱肉強食の世界なんだ。

だから私は、
心に「気付き」という傷をつける存在になりたい。

立派な言葉は書けないかもしれない。でも。

泥臭くていいから、
誰かの心を、
ほんの少しでも強くできるような作家になれたなら。

誰かの明日が、
今日よりほんの少しでも、実りあるものになったなら。

誰かの涙を、
拭えるような作家になれたなら。

いつか困難に直面するであろうあなたの心を、
僕のつけた傷がほんの少しでも支えてくれたなら。

……きっと、僕が生きたことに
意味が宿るんじゃないかな、なんて思う。

誰かの心に残りたいとか、
自分の存在を覚えていてほしいとか、
そんな贅沢なものは、いらない。

誰に嫌われても、誰に蔑まれても。
僕は誰かの心に傷をつけようと、試みる。
ちっぽけな爪痕を残そうと、もがき続けるんだ。

この息の根が止まるその瞬間まで。

それが僕の目指す、作家像だ。

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