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大切なものを守る、「力」とは。

僕はいま、「力」が欲しいと思っている。

何を突然、藪から棒に。
少年漫画の主人公みたいなことを言い放ちやがって。

そんなことを思うかもしれないけれど。

これが、僕がいま最も欲しいもので、
最も熱く語りたいものだと思うから、
ちょっとだけ我慢して読んでほしい。

そう、僕は、「力」が欲しいんだ。

それが人生において、とんでもなく大事なものだと気づいたから。

力がなければ、大切なものは何一つ守れやしない。
そう、僕は実感した。
そのきっかけになった出来事は、今日現実になった。

2022年2月24日は、間違いなく歴史に残る。

とある国が、その「力」を世界に知らしめた日だからだ。
「暴力」という名の、圧倒的なまでの力を。

先に書いておくが、僕は誰かを傷つけたくて「力」が欲しいわけじゃない。
ただ、この現実を目の当たりにして、
僕は安穏と生きることは絶対にできないなと思い直しただけだ。

とある国は、結果的に「暴力」を振るったが、
その「力」を持っていたからこそ、行使した。

「力」があったから、他国の声に屈しなかった。
「力」があったから、思うがままに行動した。
これは紛れもない事実だ。

繰り返すが、僕は決して、暴力を肯定はしない。
誰かにそれを振るいたいとも思わない。

今現在、死者も多数出ている。
それに関してはもう、心底悲しみしかない。

この現代においても、
ホモサピエンスは暴力で物事を解決する野蛮な生物だということが、
決定的になってしまった。

もはや虚しいと言わざるを得ない。

「そもそも、力を持っていたから、それを行使しただけ」

今回起こったことは、シンプルだ。
だから僕はこの事実を、胸に刻もうと思った。


ここからは僕の話。

これから先、世の中はどんなことになるかは分からないが、
ひとつはっきりしていることはある。

「力」がなくては何も守れない世の中になる。
すでになっていると言ってもいい。

「力」を持っていなければ、人は無力だ。

ダイの大冒険でアバン先生が言っていた、
「正義無き力は無力であると同時に、力無き正義もまた無力なのです」
この言葉の通り。

こと現実においては、正義無き力も決して無力ではないけれど。
力がなくては何も守れないことは正しい。

リーマンショック、震災、コロナ禍。
僕が生きてきた、たった30年間でも、
自分の無力を痛感させられた出来事は少なくない。

財力を持つ人や、企業の舵取りをするような人間でない限り、
こういった「世を揺るがす事柄」に対しては、無力に等しい。

失業、失職。
煮え湯を飲まされた人も多いだろう。

だから「力」が欲しいんだ。
僕は、僕がいま欲しい「力」を少し、考えてみた。

・たくさんの人を納得させる「説得力」
・思ったことを言える「胆力」
・生活を安定させる「経済力」
・社会的に認められる「影響力」
・現代社会を生き抜く「発信力」
・脇目も振らず突き進む「推進力」
・言葉を武器に世の中と戦う「文章力」
・他人を惹きつける「魅力」

どれもこれも、今の僕が持っていなくて、
喉から手が出るほど欲しい「力」だ。

冒頭に書いた国家レベルの話からすると、
僕個人の望みであるこれらは、
とてもちっぽけに映るかもしれない。

それでも。

僕は、こんな力が欲しいと思っている。
少なくとも、一個人でこれらを持っている人は、
かなりの強者と言える。

何者かに蹂躙されるかもしれない僕の、
その生きる道を切り開くためのもの。
僕が手に入れなくてはならない「武器」。

そのために、僕は日々努力を重ねる。

これ以上、惨めな思いはしたくない。
僕はもう、僕を奪われたくない。

自分が守りたいものを守れないかもしれないことが、
こんなにも惨めなことだったとは。

社会とは、人間とは。
こんなにも。
こんなにも。

冷たいものだったとは。

僕は夢にも思っていなかった。

世間知らずな僕は、それを知った。

絶望を感じていただけの僕はもう、死んだ。
助けを求めるだけだった僕は、死んだんだ。

今はただ、貪欲に。
己の人生を切り開くために生きる。

ただひたすらに、だ。


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