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僕に残された、最後の「手段」。

金曜日の夜。
僕はこの場所で、僕の気持ちをストレートに綴る。

このnoteは、
たまにKindleで本を出版したりしなかったりしている僕、TACKの。
「思い」を本気で綴る場所。

あぁ、こいつってこんな人間なんだな。
それが伝わったなら、とても嬉しい。

よかったら、自己中な僕の自己中な表現をお楽しみください。

今日のテーマは、少し恥ずかしい、男の子が抱く幻想の話から始まる。

結論は、noteやKindleで僕が自分の思いを発信する理由。

これは、僕に残された最後の手段の話だ。


中学生くらいの頃、こんなことを思ったことはないだろうか?


「僕は、世界を救う人間になる」

きっと一回くらいは、こんなことを考えた人、いるんじゃないだろうか。

え?ない?

書いている僕はものすごく恥ずかしい。
だからもし、「そんなこと考えたこともねぇわ」と思う方は、
ちょっと勘弁して。戯言だと思って、優しい目で見てくれないだろうか。
すぐ終わるから。ごめん。

そうだ。
俗に言われる、「厨二病」と言われる難病。
僕はこの難病を患ったことがある。

誰かに必要とされ。
誰かの命を救い。
みんなにチヤホヤされ。
世間からは尊敬の眼差しを向けられる。

そう。
僕の将来は、そんな人間になる予定だった。

しかし、現実は厳しい。

そんな中学時代から、早くも15年以上が経った。
僕が患った難病は奇跡的に、症状が落ち着いたようだ。

ただし。
当時の僕が望んだものは、何ひとつ手に入っちゃいなかった。

症状が落ち着いて初めて、僕は理解した。

僕が軽々に望んだものは、
人生をかけ、途方もない時間を捧げてやっと手に入るものなのだと。

何の努力もせずに手に入るものなんかじゃない。

それから、なんやかんやあって。
今の僕は理想の生活どころか、底辺を這いずり回っている。

金はない。
夢も希望もない。
背負うものばかり増える。白髪も増える。

どれもこれも、誰が悪いわけじゃなく。
僕が僕自身の首をひたすら締め続けてこうなった。

だから僕は自分のことを、単なるクズだと思っている。

しかしそんな僕のようなクズにも、
人並みに許されている行為がある。

だから、他にできることが少ない僕は、
それにすがりついている。

藁にもすがる思いで、たったひとつのその行為に
僕はいま身を捧げている。

そう、それは「伝える」ことだ。

伝えることは誰にでもできる。許されている。
それどころか、生まれて最初に僕らが手にしたものは、
誰もがこの、「伝える」という行為だ。

この世に生を受けた僕らは、
「生きる意志」を誰かに伝えるために、声高らかに叫んだはずだ。

それによって、僕らは生きてこられたのだから、
この「伝える」権利だけは、何者にも奪うことはできない。

笑顔を作れば楽しいと伝えることができるし、
目をつり上げて顔を真っ赤にすれば、怒りを伝えることができる。

言葉も同じだ。

僕がここに、
「うっさぴょんぴょん。うさぴょんぴょん」
と書けば、自分がイカれた奴だと伝えることができる。

「戦争は嫌い。誰も傷つかないでほしい」
そう書けば、他者を思いやる気持ちを伝えることができる。

僕に残された武器は「伝える」ことだと思っている。

そして、思いを伝えた結果。
他者の心に変化をもたらすことができる。
これが伝えるという行為が持つ最大の「意味」だ。

伝えることで、誰かに何かをもたらしうるということ。
これが、自分がクズだと思ってやまない僕にとって、
眩しすぎるほどの意味となる。

何も持っていない、何者でもない僕が、
せめて同じ時代に生きる誰かのために。
分け与えられるもの。捧げられるもの。
だから僕は伝える。僕の思いを。

きっとそれが、僕にとって。
最初に手にして、最後の最後まで手の内に残る、
「存在意義」というやつなのだと、本気で思っている。


ここまで付き合っていただいて、ありがとうございます。
僕はまだまだ、こんな感じで生きていきます。
良かったら、仲良くしてやってください。


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