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ジャングルポケットのあのプリズムの意味と考察<前編>


はじめに…

この記事は盛大に映画のネタバレを含みます。
読者としてすでに映画を見た人を想定しているので、まだ見てないって人は読まないことをお勧めします。

簡単な自己紹介

ウマ娘が好きでほぼ箱推しですがその中でもアグネスタキオンに魅入られモルモットとして日々を送っています。
他にもイナリワン、シンコウウインディ、ヤエノムテキなど特に好きです。

2024年5月に映画『ウマ娘 プリティダービー 新時代の扉』が公開されました。私はこの記事を書いている時点で4回見ており、1回目見てそのクオリティの高さに感動、2回目も楽しく鑑賞し号泣、3回目はもっと号泣し心を洗われ、4回目では心の余裕ができ細かいところを観察していました。5回目も見に行きたいし4DXも行きたいなぁ…(すごいらしい)。

ウマ娘のアニメ作品は対比表現や暗喩が多い(と思う)

例えばアニメ2期では、テイオーとマックイーンの「手を差し伸べる者(救う者)」と「救われる者」という対比があり、最後にその立場を逆転させて感動を呼びましたよね。
またターボがオールカマーで激走したのもテイオーを救うためであり、そこには「手を差し伸べる者」と「救われる者」という立場があったと思います。
作品の評価が高い『ウマ娘 プリティダービー ROAD TO THE TOP』では、オペラオーがトプロに自販機横で語りかけるシーン。あれはオペラオーが「手を差し伸べる者」でありトプロが「救われる者」でした。そこでやや不自然にオペラオーが太陽を背にするのですが、これは「手を差し伸べる者=光(太陽)」を意味していると思います。
悩んでいたトプロはこれで吹っ切れて明るさを取り戻します。そして夜、三女神様の前で今度はトプロがアヤベさんに話しかけて救うのです。このとき、トプロが外灯を背にしてアヤベさんが陰の中にいるシーンもあります。
もうお分かりと思いますが、「手を差し伸べる者=光(外灯)」「救われる者=陰」という対比を表しているわけですね。

このように、ウマ娘のアニメ作品では、登場人物の立場をくっきりと対比させることがあり、それが物語に深みをつくり素晴らしい作品に仕上がっています。そして光、陰、立ち位置、背景、小物、色使いなど様々な舞台装置によってその立場を暗喩しており、視聴者に想像を働かせているのです。

映画では…

このような表現は映画でもふんだんに使われています。フジキセキが柳の木の下でポッケに語りかけるシーンは分かりやすいですよね。
この記事はそこを解説するのが目的ではないので触れませんが、作中の様々なシーンでそれは何を意味しているのか考えると楽しいと思います。特に、夏合宿でフジキセキとポッケが花火の下で話し合うシーンはなかなか考察しがいのあるところかと思います。

考察シーン多くて何度見ても楽しめる

キラキラのプリズム(ガラス玉)

ここでようやく本題です。
自分も映画を見ながら「このシーンはこんなことを表しているのかな~」って思ったり、鑑賞後に「あ、あれはこういうことだったのか」と気づいたりしたわけですが、ポッケがずっと持ってるあのキラキラのプリズムの意味だけは分からなかったんですよね。
登場シーンもそれなりにあり、映画の象徴的な物のわりには登場人物から説明はなく、何を表しているのか不明です。
ポッケの持ち物なのでしょうが、
…どこで買った?
…誰からもらった?
…なんでいつも身に付けてるの?

君は何ぞや…?

これも「視聴者の想像に任せる」ということなのでしょうね。
ということで私なりにいろいろ考えて、1つの結論に達したのでそれを説明したいと思います。

ガラス玉は「ウマ娘の本能」を表している

映画では主人公のポッケと同じくらいタキオンがストーリーの中心になっています。むしろもう一人の主人公と言っていいくらいです。
そして映画のテーマの1つが「ウマ娘の本能=走り出したくなる気持ち」です。ストーリーでは、ポッケがその本能に従い走り、本能を失い、それを取り戻す過程が描かれています。
同時にタキオンもレースの無期限休止を宣言する(=本能が低下する)わけですが、クライマックスでは本能を取り戻して走り出します。
つまり映画全体で「ウマ娘の本能」がテーマとなっていて、それを軸としてストーリーが進んでいるわけです。

そして劇中の道具としてあのプリズムが「ウマ娘の本能」を象徴していると思います。

なぜそのような結論に至ったかのか。
様々な要素から理論を組み立ててその事実にたどり着いたというより、「そう考えるといろいろな場面の説明がつくな。ならそれが答えに違いない」という単純な思考です。
ちなみに、偉そうに語っていますが私はすごい事に気づいたとは思っておらず、他の多くの人も同じ結論をもっていると思います。劇中の表現が分かりやすいため、私と同じ思考を辿った人も多いのではないでしょうか。

次からは、”プリズムが「ウマ娘の本能」を表している”ことが分かる場面をほぼ時系列で説明していきます。

シーン① 冒頭(1)

映画の冒頭はポッケとその友人がフジキセキの弥生賞を見に行くところから始まります。
はじめ、ポッケが遅刻してパンをくわえて走ってきますが、その際にプリズムを首から下げています。そのときのプリズムは虹色に輝いておらず、薄暗い青色をした普通のガラス玉です。

光を反射しているが虹色に光り輝いてはいない

このときのポッケはおそらくトレセン学園に入る前、小学生と思われます。まだトゥインクルシリーズに身を投じる前であり、ウマ娘としての本能に目覚めていないと考えられます。

フジキセキがラストスパートをかけて光の演出が入ったとき、ポッケのプリズムが光り輝き、多面体にフジキセキの顔が映ります。これはポッケが初めてウマ娘としての本能に目覚めたことを表していて、またそのきっかけがフジキセキであることも示していると思います。

フジキセキの走りを見てウマ娘の本能が躍動し始める

シーン② 冒頭(2)

フジキセキのレースが終わった後、ポッケたちはまだ競馬場を離れずにスタンドにいます。そこでポッケがトゥインクルシリーズに入ることを決意してプリズムを空に放り投げます。
プリズムは沈みかけた太陽の光を受けて空中で輝いています。それをポッケがジャンプしてつかみ、「新時代の扉」というタイトルが出てオープニング曲が流れ始めます。これは、プリズムを掴む=ウマ娘としての本能に目覚める、ということを表しているのでしょう。
そう見ればタイトルの「新時代の扉」は「ポッケが競技者としてのウマ娘の扉を開いた」と考えることができます。
映画を見る前はポッケ、タキオン、カフェ、ダンツの世代がトゥインクルシリーズで活躍することが「新時代の扉」と思っていましたが、こういう解釈もできるな、と今なら思います。

オープニングの最後はメイクデビューを果たしたポッケが新聞に載るところで終わっていますが、新聞の上にはプリズムが乗っており、太陽光を受けて虹色の光がポッケの写真を照らしているのもなかなか憎い演出です。

シーン③ ホープフルステークス

ここはあまり語ることは少ないのですが、レース前に選手控室でポッケとナベさん、フジキセキが話すシーンがあります。
さりげない描写なのですが、ポッケが勝負服に着替えてカーテンを開けたあと、プリズムを上着のポケットにしまいます。このレースではポッケはウマ娘の本能を内に抱えている、ということを表しているのではないでしょうか(やや考えすぎかなとも思いますが)。

話は飛びますが、このレースでタキオンが初登場します。本馬場入場前、地下道でのタキオンとポッケのやり取りは最高でした(モルモット的に)。

シーン④ ポッケがタキオンをどやしに行く

個人的に劇中で最も好きなシーンです。ダンツがカフェに驚くところ、ポッケが手が6本くらい化け物みたいになるところは最高ですね。
それでポッケがタキオンに宣戦布告するわけですが、ポッケがタキオンのイスを回して自分のほうを向かせ「おめぇを倒す」と言ったとき、タキオンはホープフルステークスを回想します。
ホープフルステークスでタキオンがポッケを抜かす瞬間、タキオンはポッケのことをちらっと見ているのですね。その際、ポッケの瞳は虹色に輝いていました。これはつまり、ポッケがウマ娘の本能を燃え上がらせているということです。
これを見ていたタキオンは、ポッケが「自分が走れなかったときの代替品となる資格がある」と考えたのでしょう。そう思い至ったからこそ、ポッケの挑戦を心よく受けたのです。

ちなみにタキオンとカフェの部屋では、タキオンの横の窓にポッケと同じプリズムが吊るされています。おそらくこれはタキオンがもつウマ娘の本能を表しているのでしょう。
ポッケがプリズムをいつも持ち歩いているのに対し、タキオンはずっとプリズムを吊るしたままで身に付けようとしません。これはつまり、タキオンは観察者として自分さえも観察の対象にしている、と言えるのではないでしょうか。このポッケとタキオンの対比も面白いところだと思います。

シーン⑤ タキオンの弥生賞

タキオンがぶっちぎりで勝つ重賞です。
最終直線で、アプリでの固有スキル発動のような演出が入ります。
タキオンが自身の名である「タキオン:光速を超えた粒子」になろうと、そしてウマ娘の限界を超えようとするシーンですね。
ここではタキオンは目が虹色に輝いていて、ウマ娘の本能を燃え上がらせている状態です。
そして自分の前を走る「限界を超えた自分」を見ているのですが、その左足が着地した瞬間に砕け散ることを見てからゴールします。
ゴールした瞬間、タキオンの目の色はいつもの赤色に戻っています。
レースが終わったのだから当然という見方もできますが、「自分の足が壊れる未来を知り、ウマ娘の本能が消えた」という見方もできると思います。

このレースから帰るシーン、タキオンが電車に乗っているシーンがありますが、このとき車内は夕日を受けて黄色一色になっています。
すでにお気づきと思いますが、この劇中ではウマ娘の本能は「虹色の輝き」として表現されています。「車内が黄色一色に染まる」→「色を失う」→「ウマ娘としての本能を失いかけている」ということを表していると思います。

シーン⑥ 皐月賞

タキオンのラストラン…悲しい…。
栄えあるGⅠレースなのに終始重苦しいBGMが流れているのが特徴的です。
最終直線で、弥生賞のときと同じようにタキオンの固有演出が入ります。このとき、アプリのように科学的な数式が流れるのがタキオン推しとして嬉しかったですね。

タキオンが自らの足を犠牲に、他のウマ娘に限界を超えた走りを見せるシーンです。
先頭を走るタキオンは虹色に包まれており、ウマ娘の本能が迸っている状態です。この姿はポッケに、後ろを走るウマ娘に、そしてスタンドで観戦しているウマ娘の目に焼き付くことになります。

そして、弥生賞のときと同じようにゴールした瞬間のタキオンの目の色は虹色ではなく通常の赤色です。自分はもう走れないことを自覚しているタキオンが、ウマ娘の本能を失った瞬間と思われます。

シーン⑦ タキオンを問い詰める友人たち

タキオンは無期限の休止を宣言し世間を驚かせました。ここからしばらくは画面がずっと赤くなるので視聴者の記憶に強く残りますよね。
しばらく画面が赤いのは、シーン⑤の電車内の様子と同じです。「単色の世界=ウマ娘の本能を失ったタキオン」を表しています。また、赤色は危険信号の象徴の色ですが、タキオンにとっても、ポッケたちにとっても、世間の人々にとってもそれだけ衝撃的だったことを表していると思います。

ここまで赤色を前面に出しているのは、映画のラストでタキオンがウマ娘の本能を取り戻すことをより印象的にしたかったからでしょう。

さて、ポッケはタキオンを問い質すわけですが、タキオンの決意は揺らぎません。ここでちょっと気づきにくいのですが、窓に吊るされているタキオンのプリズムの色も注目してみます。
すると、赤単色である場合もあるのですが、何と虹色に光っているシーンもあるのです!(私の気のせいだったらごめんなさい!その場合は記事を修正します。)
これは、タキオンの中にも(無意識ではあるが)ウマ娘の本能が完全に消えているわけではないことを表していると考えられます。その意味では、このあと本能を徐々に取り戻していく伏線になっているのかもしれません。
赤色だったり虹色だったりするのは、タキオン自身も自分の本当の気持ちを理解できておらず、本能が揺れていると考えられるのではないでしょうか。

シーン⑧ 日本ダービー

タキオンがトゥインクルシリーズから去り、ライバルを失ったポッケは何かにすがるかのように、がむしゃらにトレーニングするようになります。
しかしナベさんの言葉で立ち直り、前向きな気持ちで日本ダービーへと出走します。

レースが出走する直前、観客席にいるタキオンは「わくわくするね~」とつぶやき、ポッケとダンツが自分の研究の代替として成長していることを期待しています。
このとき、不自然にプリズムが画面中央に映るのですが、プリズムは光っておらず鈍い色をしています。
これは、タキオンが自分ではなく他者に関心をもっている状態で、ウマ娘としての本能が沸き立っておらず静かな状態を表しているのでしょう。

最終直線ではポッケとダンツがペリースチームをかわし先頭に立ち、壮絶な叩き合いになります。このとき、二人は虹色のオーラに包まれ、「勝ちたい!!」という強い気持ちを出して走ります。

ポッケの走りに反応しダンツの本能も輝きだす

まさにウマ娘の本能全開!といった感じで見ごたえのあるシーンです。オーラは虹色ではありますが、メインはそれぞれのイメージカラーである黄色とピンクにもなっています。

ここでもちょっと気づきにくい演出があります。
ポッケとダンツが光に包まれて壮絶な老い比べをしているとき、フジキセキの瞳が一瞬虹色に光るのです。涙では?と思うかもしれませんが、この時点ではフジキセキはまだ泣いてません。
これは、長い間レースに出ていないフジキセキの中に眠るウマ娘の本能が呼び覚まされたことを表していると思います。冒頭で述べたように、ウマ娘の作品ではキャラクターが相互に「救う・救われる」という関係にあり、この場面ではポッケがフジキセキを救ったのでしょう。
そしてこれが、後の夏合宿での夏祭りのシーンにつながっていきます。

さらにもうひとつ、レース後にポッケが勝利の雄たけびを上げますが、これを聞いてタキオンは歩みを止めて振り返ります。タキオンのウマ娘としての本能が反応している分かりやすいシーンですね。
ここでタキオンの足元が映るシーンがあるのですが、ケガをしている左足がぴくぴくと動いています。それはいいのですが、両足の周りにはカラフルな紙吹雪が落ちています。
そう、カラフル(=虹色)な紙吹雪はウマ娘の本能を表していて、それが「床に落ちている=タキオンの本能はまだ眠ったままである」という暗喩だと思います。


だいぶ、長くなってきました。本当は1つの記事で書き上げるつもりがここまで長くなるとは…。
ここまで見てくださりありがとうございます。
続きは<後編>に書きます。良ければ見てください。

※画像は劇場版『ウマ娘 プリティーダービー 新時代の扉』公式Xより引用しています。
※2024.7.9 日本ダービーに追記、ほか画像追加


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