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美しいものを集める人生

帰宅前、3歳娘と近所の公園に立ち寄る。今日も、走って、跳ねて、ふとしゃがんで、気まぐれに遊具に登って、何をするでもなくただ公園を満喫する。
ここへ来るたび、大きな木の根っこの上や、連なるブロックの上を、落っこちないようバランスを取ってそろそろ歩く。いつも娘がわたしに後ろへ並ぶよう指示して、たった二人の列をつくる。各々じぶんの足を見つめながら、ゆっくりと進む。娘は一歩踏み外すたび、「片足だったら落ちてもいいんだよ」と言う。

ということを風呂に入りながらぼんやり思い出し、ああ、いつかこの情景が私の胸に、美しいものとして蘇るのだなと理解した。こういう、大事に取り出せる美しいものを集めることが人生なのかも、と気づいて、心のなかで子に感謝した。

美しいもの。もちろん親になる前の人生からストックはある。
大学時代に付き合ったとある男の子と過ごした時間は、たびたび思い出す。二人で小さな軽自動車に乗って、分かれ道にあたるたび、「右」「左」と思いつきで決め、どこに行くわけでもなくドライブした。あれは美しかった。

こういう文脈での「美しい」ってなんだろう。
気づき、とか、新鮮、瞬間、みたいな単語がぱらぱら浮かぶ。
使い古された言い回しだけど、その瞬間を生きている、ぎゅっと詰まった時間であることには間違いない。
この先も忘れたくない心地よい高揚感、何か新しいものを発見したような喜び。そういう瞬間を溜めていきたい、そして繰り返し、そっと取り出して味わいたい。

そのためには心が時間とともにここにある状態で生きている必要があり(心がここになくて美しいものを見ることもあるのだけど)、その美しさを捉える余裕と、覚えているための覚悟がいる。

わたしにとっての美しいものを集める人生を生きている、という自覚を持って生きているだけで、美しいストックが増えそうな予感がある。結局まめに日記つけろってことか。

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