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【オンライン立ち飲み】空間デザイナーのシノモトさんと「空間」の話

5月21日(木)、proshiroutでは「TACHINOMI余市ととなりの席の○○さん」のインスタライブを行いました。第16回は、シノモトさんをゲストに迎えました。その模様をレポートします。

乾杯を忘れている

「シノモトと言います。ARAIくんとは大学の建築学科で同級生でした」と話すのは、白いTシャツに黒いジャケットを合わせた、聡明そうな端正な男性。TORUに負けず劣らず、心地よく響くいい声をしている。

「大学の後はシカゴの大学院に2年間通い、卒業後は東京の建築事務所で8年勤務、京都の大学の図書館や東京ビッグサイトの新館などを担当してました」
「そうだったんだ」とTORU。
「ARAIくん、ぜんぜん俺のこと知らないじゃん(笑)」
無意識に同調し合わない、男友達特有の健全でそっけないやりとりが続く。
「マンションをリノベーションしたときに、インテリアの知恵が欲しい、ということで来てもらったことあったよね。そのときに蔵前のNuiで遅くまで飲んでね」

あれ・・、どうやら乾杯を忘れている。しょうがないので筆者は勝手に飲み始めた。

Nuiとパレステント

Nuiは、浅草にほど近い街、蔵前にある、ホステル&バーラウンジだ。
「そう、5年前くらいかな、それまでは蔵前なんて聞いたことすらなかったんだけど、行ってみたらすごいいいところで。Nuiにはそこから月1くらいで行くようになったよ」とTORUが言う。
その蔵前に自宅があったシノモトさん。毎週日曜は奥さんがヨガ教室に行く日なので、子供の面倒を見る担当だった。そのときによく過ごしていたのがNuiだった。
「なにがいいかって言うと、どこに座ってもいい公園的な自由度があること。あと店員さんも皆フレンドリーで子供の名前も覚えてくれたし、俺がトイレ行く間とかに、子供を見てくれたりもしたんだよね」
お洒落で尖鋭的な空間なのに、近所の喫茶店のような安心感がある場所ということだ。

シノモトさんは、現在は独立をし、もともと地元だった名古屋にて、デザイン事務所を立ち上げている。
「いまはこっちきて半年くらい。地方都市って、東京に比べるとつまらないと思われがちだけどそんなことなくて、ちゃんとピックして狙いすましていけば、面白いところ多いよ、いろいろ掘り下げ中

名古屋の中心地にある「円頓寺商店街」ディスコイベントの話から、フジロック会場にある「クリスタルパレステント」の話に派生した。入場ゲートの手前に位置する、DJやバンドが夜な夜なパフォーマンスを行うブースだ。既設の建物ではなくて、開催中だけ現れる移動式の巨大なテントである。「でもずっとそこに建っていたようなどっしりとした風格があって、世界で一番好きな空間なんだよね」とTORUは言う。

それはさ、やっぱり密な空間だからいいんだと思うんだよね」とシノモトさんが話す。「いわゆる祝祭空間のひとつで、密だからこそトランス状態が生まれて、高揚できる場所になるわけで。いま、『3密を避けましょう』って言われているじゃん。これスローガンとしては機能したよなとは思ってるのね。でも、いわゆる出口戦略じゃないけど、日常に戻って行こうとするときには、どうしても足かせになっている現状があって、イメージ先行で『あの店に行くのやめよう』ってなっちゃう。そういう空間には、まだまだ厳しい状況が続きそう」

ローカルの生活

「家でも職場でもない自分のための場所、一般的に3rdプレイスっていう言葉あるじゃん、スターバックスとか」とシノモトさんは続ける。「で、このリモートワークが主流ないま、家と職場、1stと2ndが溶けて混ざり始めているわけで、今後どうなっていくんだろう、っていう話をよくしてる。あと、リモートは効率がいい、っていう話もあるんだけど、例えばさ、取引先に打ち合わせに行ったとき、いままではその帰り道で、『これまうまく行ったこれはうまく行かなかった』っていう反省の時間があったんだよね。それがなくなっちゃった」

家の周りで過ごす生活について、シノモトさんが話す。「名古屋だとまだ車があるから行動範囲は広いんだけど、都市部だったら、家の周りの徒歩圏内の中で過ごすようになるよね、そうすると『等身大のローカル』が生まれてくる
また、その都市空間におけるローカルな体験も、徒歩と自転車、キックボードやスケボーなどでは、地形の起伏の感じ方が変わってくるという。「たとえば、渋谷で道に迷ったら、とにかく下へ下へ行けば駅にたどり着くっていう話があるよね、あそこは大きな谷になっているから」

好きな空間

シノモトさんの好きな空間を3つあげてもらった。
1つ目は、北海道にある「モエレ沼公園」。札幌市の中心街から車で30分ほどで行ける、東京ドーム40個分もある巨大な公園だ。イサム・ノグチが生前に設計をした壮大な空間である。

2つ目は、PRADA青山店。膨らんだ菱形のガラス斜め格子に組み合わさった構造で、美しさが圧巻の建物。「建築の勉強をしていて、ときどき虚無感にさいなまれるようなときもあるんですよ。そんなときに見に行って、建築ってまだまだ可能性があるんだな、と思ったんだよね」と語る。

3つ目は、栃木県にある大谷石地下採掘場跡だ。古くから建築素材に利用される「大谷石」の採掘場で、その採石後のスペースが、現在は資料館として公開されている。
インディ・ジョーンズにでも出てきそうな、荘厳で神々しい空間である。戦時中には日本軍の工場や倉庫など様々な用途に使われていたこともあったらしい。現在では、結婚式をあげることもできるし、いろんなミュージシャンがMVも撮っている。
シノモトさんの奥さんが宇都宮に住んでいたこともあって馴染みが深い。「計画して作ったわけじゃない、偶発的な空間。そもそも建築の起源は、太古に遡れば山に穴が掘られた洞窟的な空間だという話もあって興味深いですね」

学生時代

2人の大学時代の話を、もう少し掘り下げてくれた。
「大学のときはさ、こんなふうに親しく喋るようなことはなかったじゃない」とTORU。
でもなんか繋がりはあったよね、とシノモトさんが言う。「微妙に違う分野だったけど、でもこいつセンスいいな、やべえな負けらんねえな、と思ってた
TORUは「デザインしないデザイン」というタイトルの卒業論文を書き、その研究が今の仕事にも活きている。「建築を学んでいて、圧倒的に視野が広がったなと思っているよ

実はシノモトさんは、大学を卒業してすぐにシカゴに渡ったわけではない。「大学院浪人っていう、世の中にはないカテゴリの状態で」と過去を思い出す。
「あるとき2ndストリートに服を売りに行ったの。受付のときの書類に書く職業がなくて、とりあえず『自由業』っていうのにマルをしたけど、でもこれってニートじゃんってね。『365日が夏休み』っていう歌の歌詞があるけど、400日くらい夏休みがあったんだよね(笑)。でもそのときに、学部時代には箸にも棒にも掛からなかったコンペに受かったり、あとリノベーションの会社に『お金いらないんで勉強させてください』って言って出入りさせてもらったり、よい経験ができた。それを許してくれた環境に感謝しかないんだけど」

人が集まる

「ミラノに出張に行ったときに、ディエチ・コル・ソコモっていう百貨店があったのね、ちょっとそんな話していい?」とTORUが前置きをする。「その建物に、小さな屋上庭園みたいなところがあって、人々が上がってくるんだよね。でも彼らは、展示品とかじゃなくて、空の写真を撮ったりするわけ。これってなんでだろう、と思って」
当時、「人が集まる」を商売に繋げるには、ということを考えていたTORUは、その「集まる動機」を調べるために、街中を観察して分析したということだ。すると、カッシーナの家具があるから賑わっている場所もあれば、道端のちょっとした段差によって人が集合する現象も見た。人が集まる理由には、「人軸」「モノ軸」「コト軸」など、多様なベクトルがあるのだから、ひとつの要素に固執せずに、「余白」のある空間を作ることが大事だと分かった。「立ち飲み屋に『余市』っていう名前をつけたのもそこで。余白のある市場、っていうことで」とTORUは説明する。

「空間ってさ」とシノモトさんが話す。「射程が広くて、名前がなくてもモノがあれば成立するところがあって。ただの通りでも、ベンチとかバス停とか、そういうエレメントがストーリーを生み出すわけじゃん。例えば、渋谷、新宿、池袋のストリートカルチャーって、もともとしつらえられたものじゃなくて、勝手に若者が集まって、それぞれ違った空間を作っていったわけだよね。

空間は、集まる・密集することで生まれる。今後の世界で、それをいかにして成立させるかを考えるのが、まさに空間デザインの仕事になってくる。「名古屋をよくするために帰ってきました」というシノモトさんが「そのうち名古屋から東京に攻め込むから」と宣戦布告をした。

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ナタリーちゃんのグラレコ

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文責:TSUYOSHI HIRATSUKA
proshiroutの幽霊部員。あまったアスパラは冷凍した。

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