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『たちまちの流(ながれ)』劇評と、関わってみての感想。
こんにちは!
『たちまちの流(ながれ)』、公演が無事すべて終了いたしました。
見に来てくださった方、思いを馳せてくださった方、本当にありがとうございました。
今回は私なりの作品の劇評と、制作や物販として公演に関わってみての感想を記したいと思います。
『たちまちの流(ながれ)』 劇評
四条烏丸、京都芸術センター フリースペース。
京都の中心部のど真ん中に、風景が現れた。
そこは、このせわしない21世紀の現代を生きる私たちの世界とはまるで違う、ゆったり、ゆったりとした時間が流れる空間。
壁一枚隔てた外はいつもと同じはずなのに、目の前で繰り広げられるもの一つによって、こんなにも時間の感じ方が変わるのだと、驚きを隠せませんでした。
さて、『たちまちの流(ながれ)』は台詞がほとんど無く、はっきりとしたストーリーも、特定の登場人物もいない作品でした。
見終わった後で、こう思われた方もいらっしゃったのでは。
「これは演劇といえるのか?パフォーマンス?それともダンス作品?」
何かを見るうえで、そのジャンル分けというか、それがいったい何であるのか、またそれを定義づけるものは何なのか、ということは、気になるところであります。
普段、ミュージカルやレヴュー、歌舞伎や文楽、バレエやオペラなど、ジャンルが確立していて、割と作り方もきっちりと決まっているものを見るのがほとんどなので、実際に私もそうでした。
現代的な手法を取り入れた新作歌舞伎を見ると、「これは歌舞伎といえるのか?」と思うこともしばしば。
ですが、この作品はそんな私の凝り固まった枠に、あたたかく、やさしく、疑問を投げかけたのでした。
演出の中谷さんは、当日パンフレットの中で以下のように語っておられました。
自分が自分で想像もつかないようなたくさんの思い込みの枠のようなものの中で、日々生活をしていることに気が付きました。しかし、それらの枠は案外軽やかに取り払われるのかもしれません。
この考えを知り、『たちまちの流(ながれ)』を見た後、「それが何だったのか」ということよりも、「それを見て自分がどう感じたのか」を大切にしたいなぁと考えました。
『たちまちの流(ながれ)』は、自分たちの中に知らず知らずのうちに潜んでいる「枠組み」に訴えかけてくるような、そんな作品であったと思います。
『たちまちの流(ながれ)』、関わってみての感想
初めにも申し上げましたが、私は劇団の公演に直接関わることは初めてでした。
なので、やることなすことがとにかく新鮮で。
当然分からないことだらけでしたが、なんとか自分なりに食らいついていくことができました。
また、稽古場を見学して実際に作品が作られていく過程を見ることができたというのも、とても貴重な体験でした。特に、初めて通し稽古を見ることができたあの日の感動は、忘れることができません。
稽古というのはつらく厳しいものであると、以前の私は勝手に思っていました。でも、ソノノチの稽古場は違いました。笑いあり、時には真剣に、でも相手のことを思って、で。
稽古場が人情に溢れていて、それが劇団や作品のあたたかさにもつながっているのだなと感じました。
そして何より、当日お客様が見に来て下さったこと、自分たちが考えて作ったグッズを買って下さったこと、アンケートをたくさん書いて下さったこと…
これらを経験し、今まで頑張ってきて、公演に参加できて本当に良かったなぁと思いました。
それでは、このあたりで失礼いたします。
短い間でしたが、「おがわちゃんのたちまちDiary」を読んで下さり、
本当にありがとうございました!!!!!
(舞台写真撮影:脇田友)
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