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某国の思い出:人種編

あるパーティでイタリア人と話していると、「君にすごい似ている有名人がイタリアに居る」と言って写真を見せてきた(正直どこが似ているのがわからなかった)。

彼女曰く顔のタイプが一緒でも、アジア人はハンサムに見えないの不思議よね~とのこと。は?と思ったが、一緒に居たオランダ人がそれってレイシズムじゃねと突っ込んでいた。

実のところ人種差別っぽいことは某国ではそこまで経験しなかった。政治的にコンシャスなお国柄だったからかもしれない。道を歩いていたら小学生に「中国人!」と叫ばれたり、夜に道を歩いていたら(治安が良かったので夜も出歩けた)ホームレスに缶を投げつけられたりはしたけれど。

でも思い出すと語学のグループワークで組んだドイツ人がものすごく冷たかった。単に自分のことが気に入らなかったのか、それともアジア人が嫌いだったのか。一方でそのクラスでは南アフリカ出身の黒人の学生と仲良くなった。一般にトルコ人やインド人、アフリカ出身者など第三世界の人々には英語の訛りとシンパシーが感じられた。一方でアメリカ人とはそりが合わなかった(n=1)。

そしてその国に居たときほどアジア人の連帯をありがたく感じたことはなかった。困ったときに助けてくれたのは中国人や台湾人、韓国人の人々だった。一方でエラスムス(ヨーロッパ圏内の留学制度)で来ているフランス人、ドイツ人などとは壁を感じた。

あの時期に私が身に染みて理解したのは、西洋とは一つの文化的なゲシュタルトなのだということだった。古代からの歴史と文化(と言ってしまえば簡単だが)、言い換えれば世界観を共有しているのであり、それは地理的な近さとかそういうものというよりも、人との付き合い方、飯の食い方、余暇の過ごし方など生活の隅々にまで行き渡っているものなのだ。あちら側の人たちは私の英語のアクセントから見抜くよりも先に、一瞥しただけで私がそちら側ではないことを見抜く。そこで私はオリエンタルなサムライにされてしまう。

その意味でその国がフランスやドイツほどの大国ではなかったのは良かったかもしれない。西洋の中心文化への一種の引け目を、その国の人たちと私は少しでも共有することができた。結局私は留学生仲間とも日本人とも距離を置き、もっぱら現地の人たちと過ごすことになった。

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