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なぜ人は創作するのか?

またHODで哲学対話をした。テーマは「人はなぜ創作するのか?」

人の営みの多くは、その成果を共有して対価を受け取るためにある。例えば資格試験の勉強が苦しくても頑張るのは、その資格を取ることで給料が上がり、給料が上がるとより良い生活ができるからだ。ここではより良い生活が勉強のモチベーションになっている。

でも創作物に関しては人によってはそもそも人に見せることを意図せずに作ることもあって、そうすると創作の対価はあやふやなものに思える。もちろん文学賞などを取るための作品作りや職業作家が生活費を稼ぐための創作もあるだろうが、すべての人がそのように創作するわけではない(特に文フリに出すような作家さんはそうだと思う)。

今回の対話では「作ることそのものが楽しいから」という意見も出た。自分はそれが正しいのかはわからない。というのもTwitterを見ていると、多くの創作者は作品を作ることに苦労し、つらそうにしているように見えるからだ。それともその苦しみがあるからこそ、喜びを感じられるのだろうか。サウナ後の冷水浴のように。創作はサウナなのか?これについては疑問がさらに深まったと言える。

もう一つ興味深く感じたのは、勝手に自分を創作しない側の人間だと自任していたが、創作の範囲を広げればツイートなども創作になる以上、自分も創作していることになるということだ。そうすると「創作はつらいのになぜするのか」という問いは成り立たないかもしれない。自分はツイートをそこまで苦しんで生み出しているわけではないからだ。結局創作の苦しみは程度問題で、別に無ければ無い方が良いのだろうか?そうするとできるだけつらくない方法で(例えばAIなどを使って)創作する方法を見つけるのが良いということになるだろう。でもそれには反対する人も居る気がする。

なぜ人はつらい/つらくないのに創作をするのだろうか?



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