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「他人に振り回される」とは何か

他人に振り回されることは一般的に不快で苦しいものだと思う。赤の他人や知り合い、親しい人たちの些細な言動で主にネガティブな方向に気持ちが向かってしまうことは望ましくない。

しかしまったく他人に振り回されない人と他人の存在に無頓着な人はどう違うのだろうか。後者もやはり望ましくない在り方のように思える。少なくとも私は大切だと感じる人に無頓着にはなりたくない。

ここでの問題は他人に振り回されないことと無頓着ではないことの両立ということになる。この二つはどうやって両立できるのだろうか。言い換えれば振り回されないことと無頓着であることの違いはなんだろうか。

Twitterのスペースで聞いた話を自分なりにまとめると以下のようになる。

つまり他人に振り回されることには、自分の相手に対する期待が関係している。相手がこうするだろうという期待があるからこそ、その期待が裏切られたときにがっかりしたり相手を恨んだりするのだ。よって相手に振り回されないためには、相手に対する期待を持たないことである。

さらに無頓着でないことと無頓着であることの違いは、後者が相手への興味関心を失っているのに対して、前者は興味関心を持っているということだという。相手への関心を持つことが相手をケアすることにつながるのだ。

よって他人に振り回されずさりとて無頓着ではないということは、相手に期待を抱かずかつ相手に興味を持つということになる。

それってとってもむずかしいね。

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