憧れと隷従

学生のころ、心が参ったときはよく自己啓発サイトを見て奮起していた。
その瞬間は雲間に光が刺したかのような希望をもたらすけど、日常に揉まれれば1日もたたずしてその熱気は消え失せる。何回か繰り返しその事に気づき、更に何十回繰り返しもうこれは辞めようと決意する。
「駄目な自分を愛しましょう」とか、どこの誰だかもわからないやつに言われたくねーよ、と逆にそういう自己啓発を避けるようになった。もともと天邪鬼だしな。

それから何年も経って、自分の受け入れられる自己啓発を発見する。
好きなアーティストや芸能人、とにかく自分の興味関心尊敬を向ける人物の発言には、その言葉を飲み込むためのハードルが激低になる。そんな人達に「駄目な自分を愛しましょう」って言われたら涙流しつつハイ!!!と自分を両手でハグし出す自信がある。
よく言われている、「何を言うか」ではなく、「誰が何を言うか」ってやつだろう。私の場合それがとても根深い。人生のあらゆる点において、自分の"憧れ"に対する絶対的な信頼と服従がある。
恐らく自分自身の空虚さを、他人への憧れで埋めるような生き方をしているんだと思う。
そんなだからか、自分が良いと思った作品に対して一切批評が出来ない。周りの人は好きな作品でも、ここはこうした方がもっと良かった、などという建設的な意見を出す。私は「もうこれで完成しているから、私なんかが言うことなんて一切ございません」というスタンスである。創作する奴として割と致命的では?
それでも憧れによって今の人格を保てているし、憧れによってこんなコラムまがいのものを書いている。落ち込んだ時はThe weekndのサニーゴヘアを見て奮起する。
私は憧れによって生かされている。

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