許可証ロッテリア

暗い。
扉を開いた瞬間そう思った。夜なのだから当たり前だが、昨日よりも確実に暗い。
これは新月だな。と空を見上げると、まるまると太った月が輝いており、明るかった。自分の目がいい加減なのか、感覚自体がおかしいのかわからないが、この澄んだ濃い影の中を歩いていくとなんだか心が洗われるようだった。

さらに心を洗うため、繁華街の広場に向かう。半端なイルミネーションが半端に街を彩っていて、そこにはナンパをする男、登山家のような装備の老人、老人のツレらしき歌う若い女、歌う女を茶化す男、ひたすらに足下を見つめる男など錚々たるメンバーが集っていた。私はそれらを見ながらロッテリアのハンバーガーを食う女で、この構図を構成する一つになった気分になった。ローソンの肉まんとか買わなくてよかったな。
広場全体ではなく、駅と反対側の区画にしかこのトンチキ空間が生まれていないというのが面白い。ある程度人間が居なければ成立しないが、流動的な人の流れがあるところではこの淀みは生まれない。ヘンな人達も、場所を選ぶ。
あと、この濃度は光の強さに反比例していると思う。強い光は全ての人間を誘うが、先に言った流動性が生まれてしまう為に空間が定まらない。駅の反対側の、さらにライトの少ない石椅子。そこが一番丁度いい。私も特に理由もなくそこに座ったし。
歌う女は曲の一節だけを歌い続け、ナンパは失敗し、登山家の老人が商業施設の中へ「小便しにいく!!」と走り、歌う女は「もぉ〜」と言いながらそれに続いた。足元を見続ける男は変わらずに真下を向いている。首は折れているのに背筋は綺麗だ。

美しい月夜に照らされるヘンな人達は感動的だった。そこに強いコントラストがあれば、それを構成するものはなんだっていいのだ。芸術だね。
結局、月影が昨日よりも暗く感じたのはなんでだったんだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?