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「治らないなんて思わないで欲しい」と言われて嬉しかった理由

いきなりで申し訳ないのですが、私は血液系の慢性疾患と、下肢身体障害(右足首)を抱えて生きています。その私が、ある女性に言われた、印象的な一言が、今も強く心に残っていると同時に、自分が本当に欲しいもの・求めていることに気付きました。ハンデを持っている方も、持っていない方も、一緒に考えていただければ幸いです。

病気と症状について

私の慢性疾患は遺伝性で、簡単に言えば「出血が止まりにくい」という症状です。どの程度止まりにくいかは、同じ症状の人でも程度があり、軽症・中等症・重症と別れており、私は重症に分類されます。

この病気の患者数は、日本で5000人前後。やっかいなのは、外傷よりも筋肉や関節内でも出血があり、大きな出血は関節を少しずつ壊していくことがあります。

これは、白血球が軟骨を溶かし、溶かされた軟骨は回復せず、関節の負担が増え、骨にダメージが蓄積されるためです。これは同時に、患部の出血が起きやすくなるということでもあり、悪循環に陥ります。

今は良い薬(静注薬)が少しずつ増えており(とはいえ対処療法なので完治はない)、薬を使いながら、関節症の出ない生活の仕方も、だいぶ確率されています。今の子どもたちは、そこまで大きな関節症はありませんが、私より上の世代は、この病気で関節をダメにしてしまっている人が多くいます。

とかく、出血傾向と関節症がある場合、安静にしておくことが欠かせないので、「頑張れない病気」とも言えます。頑張れば頑張るほど、症状が悪化していくからです。

「治らないなんて思わないで欲しい」

この言葉を言われたのは、かれこれ12,3年ほど前。年下の女性からです。この女性と、ある時期お付き合いさせていただいたこともあるのですが、この言葉を言われたのは、お付き合いする前の話。

当時まだ学生だったその女性は、もちろん医学の知識もなく、この病気がどういうものかも正確には理解していなかったことでしょう。普通なら、医学的に不可能(そもそも染色体の情報不足による遺伝性の慢性疾患)なことを言われれば、間違いを指摘したくなるかもしれません。

しかし、慢性疾患の話をした彼女が私に言ったその言葉は、なぜかとても嬉しかったのです。彼女はそれほど深く考えて言ったわけでもなく、ただただ素直に励ましたかったのでしょう。でも、そんな素直な言葉だからこそ、心に響いた気がします。

本当は元気な体になりたい、という願い

ハンデや障害をどう捉えるかは個人の自由です。私個人としては、「障害が個性」という言葉は受け入れがたく感じます。毎日痛みや不安を抱える体を「個性」というのは、自分自身に対する偽善のように感じますし、「個性」は「当たり前」を感じさせる言葉なので、この言い回しは少し苦手です。

もちろん、精神疾患などの場合、「個性」として捉えたほうが上手くいくこともあるのは重々承知しています。ただ、物理的に不便や痛みを強いられる場合、特に他の人がハンデを抱えている人に向かって、勝手に「個性だから」と言うのは、絶対にNGだと考えます。

障害やハンデをどのように捉え、どのように付き合っていくかは、本人だけが決めて良いことです。

その上で、彼女の「治らないなんて思わないで欲しい」という言葉が嬉しかった理由を考えると、やはりそれは「本当は元気な体になりたいから」だと思います。心のどこかで、そう望んでいる。そうなったら一番嬉しいのです。

加えて、目の前の女性が純真無垢にそう願ってくれたことが嬉しかったんだと思います。頭ではイヤというほど、この病気と一生付き合っていかないといけないとわかっているだけに、「本当は元気な体になりたい」という願いは酷です。

必死にそれが仕方ないと思っている自分に対する裏切りと言っても過言ではありません。でも、素直な気持ちで、ありもしない「元気な体になること」をまっすぐ言ってくれる人がいる。これだけで、自分に対する罪悪感や後ろめたさは吹き飛ぶのです。

だからこそ、この「治らないなんて思わないで欲しい」という言葉は心に染みたのでしょう。今でもそのときのことを思い出すと、心が温かくなります。

まっすぐ伝えることの大切さ

もちろん、ハンデを抱えている人に、実現不可能な希望を軽々しく伝えることはNGです。それは、本人にとって辛いことですし、不誠実で、理解されていないと感じさせてしまいます。

ただ、理解しよう、傷つけないようにしようと思うあまり、言葉を選びすぎてしまうと、せっかくの真心が伝わらないケースもあります。ハンデを持っている相手の顔色を伺いすぎると、間違った悪い印象を与えてしまうこともあれば、壁を作ってしまうこともあるでしょう。

「ありがとう」、「すごいね」、「助かる~!」、「やったじゃん!」、「ごめんね」、「一緒に行こ!」

こんな言葉なら、きっとまっすぐ伝えられないでしょうか?

多くのハンデを抱えている人が望んでいることは、必要な援助を別にすれば、「普通に接して欲しい」ということ。特別扱いはしなくてもいいし、ましてや距離を取ったところから顔色を伺うことはしてないで欲しいのです。

この「普通に接する」は、相手のできること・できないことを考慮する、して欲しいこと・して欲しくないことを気遣う、なども含まれます。これは、ハンデを抱えていようといまいと、普通にすることですよね。それでいいのです。

もちろん、相手が抱えているハンデについての知識は必要ですが、わからなければ尋ねればOK。自分を理解しようとしてくれている人を嬉しく思わない人はいません。それも普通のことです。

これはハンデを抱えている人自身もそうで、一見元気に見える人でも、いろんな悩みや辛い出来事があります。自分のハンデについて理解して欲しいという気持ちよりも、相手を気遣い、まっすぐな優しさをとどけてあげることはできるはずです。

おわりに

当時、その女性は運動部に所属していて、とても元気でした。デート中は、私に席を譲ってくれていました。(若気の至りで年上の男だけ座るのは少し恥ずかしさもありましたが笑)

そんな健康体の彼女が、まっすぐに「治らないなんて思わないで欲しい」と言ってくれたことで、ハンデを持っている人が本当に願っていることは、元気な体になることなんじゃないかなと思いました。

比較的健康な人ができることは、ハンデを抱えている人が、「みんなと一緒だ」と思えるくらいのサポートをすること。ハンデを抱えている人にもできることは、まっすぐな気遣いや優しさを届け、自分にできることをしてあげること。

そんな素直な願いや気持ちを届ける大切さは、きっと一人じゃ気付けなかったと思います。

#一人じゃ気づけなかったこと

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