寝台列車

週末、生まれて初めて寝台列車に乗る。
とてつもなくわくわくしている。

わくわく旅の構想としては、まず20時に東京駅に到着し、深夜の車内で飲むお酒とつまみを吟味する。
コンビニから駅弁まで、東京駅構内すべてのショップを二周半はまわるつもりで、あまりに納得いかないラインナップであれば、駅を出て、デパートの食品売り場にも駆け込むことを辞さない構えである。
飲み物は限界まで冷やすので、クーラーバックも持参する。

用意周到、まさにこのこと。


そうして二時間半、お酒とつまみのオーディションを行い、同行してくれる免許を持つ友人と合流。21時50分のサンライズ瀬戸に乗り込む。おそらく深酒は避けられないので、二日酔い手前くらいで早朝の高松を迎えられれば御の字だ。
8時からレンタカーを予約しているので、ピックアップしているうどん屋を五軒ほど周り、「うどんって三軒目以降はどこもおんなじ味だよね、美味いけどね」とかぼやきながら温泉に立ち寄り、18時発のマリンライナーで岡山から最終の新幹線で東京に戻る。これが全行程である。素晴らしい。


ちなみに、電車もうどんも、嫌いではもちろんないが、特段に好きというわけでもない。


それでも今回高松に向かうのは、寝台列車に乗りたい、という野望一点のみで、中学一年生だか二年生だか三年生の時に読んだ、恩田陸の「三月は深き紅の淵を」という作品がどうにもあたまから離れないのだ。


作者不明の稀覯本「三月は深き紅の淵を」の謎を追い求める短編ミステリーの一編である「出雲夜想曲」に、お目当ての寝台列車は登場する。


作者が出雲にいるとの情報を掴んだ編集者・江藤朱音が、同業の堂垣隆子を誘い、夜な夜な作家の愚痴を言い合いながら、たまに謎解きを挟みつつ、酒を飲み交わし出雲に向かう。謎は解明されないまま、早朝の出雲に降り立つシーンでおしまいを迎えるのだが、それだけのおはなしが、15年経ったいまでも、心をぎゅっと掴んで離さない。


「出雲」と「ミステリー」という、どう考えても物語の軸となる設定を殴り捨て、「寝台列車で呑んで喋る」だけで押し切ってしまう、恩田陸の「どうしたら酒をわくわくして呑めるか」という趣味全開の世界観に魅了されたものだ。

「おはなしってこれでいいんだ。起承転結関係なく、やりたいことだけをぶつけて良いんだ」

目から鱗の出会いと書きたいが、実際のところ、そんなことまでは考えていない。


ただただ、作中に出てくるつまみの数々が美味そうで、ギンビズのアスパラガス、コンソメポテチ、トマトプリッツ、あたりめ、キムチ、枝豆にチーズ、焼き鳥にネギトロ巻き。
それらを車内の簡易テーブルにならべ、缶ビールで流し込むシーンに悶絶したものだ。
検札に来た車掌が「もう寝ているお客さんがいますから、お手柔らかにネ」と女性ふたりに釘を刺すのも、なんとも小粋な場面である。

部屋の明かりを落としては、布団を被って、夜な夜な想いにふけっていた。


そんな憧れの寝台列車に乗り込むのだ。

行き先は出雲ではなく高松だし、作者の謎解きなどという高尚な会話もなく、「ふぃ~、寝台列車~」みたいな、内容もないノリを、翌日運転を控えた友人にぶつけるだけで、物語の完全再現とまでいかないだろう。検札にきた車掌に「お手柔らかにネ」と小粋に釘をさしてもらいたいが、果たしてそんな務め人はいるのだろうか。

「うるさいって苦情が来てるので、気をつけて下さいネ」


こんな感じで現実に引き戻されないよう、ほどほどに愉しむつもりである。

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