(仮)エドリューション その13

 このように平安時代には、唐から渡来した文明が日本で消化、吸収され国風文化となり、主に貴族の間で花開きました。そして江戸時代には、当時日本では南蛮と呼ばれたスペインやポルトガルから、中世の日本に流入した文化を取り入れながら、自然と共生する循環型の文化を完成させ、今日知られるように一般大衆にまで浸透しました。これと同じ視点で見るならば、今後日本は、産業革命以後の欧米で発達した文明を取り入れながら、日本的感性でアレンジを施し、新たな和のテイストを持つ文化を生み出すことになります。そしてそれが広まるのは、日本国内のみにとどまらず、現代の文明で発達を見せた交通手段や、通信技術、国際間の国交を通じて、世界全体であると予想されます。 

 なぜなら、化石燃料の利用、自動車、電機、エレクトロニクス、IT技術など、世界各国で、この欧米発の文明の影響下にない国はないからです。その恩恵に対する弊害を、独自に乗り越えることが出来なければ、循環型社会として自己完結型の文化を織りなした江戸時代は、それらを補完する形で救いの手を差し伸べることになるのではないかということです。

 最後にもう一つ、忘れてはならないことがあります。遣唐使の廃止から国風文化が起こる分岐点は、菅原道真による遣唐使廃止の建議が発端となりました。当時すでに唐が国として混乱を極め、優秀な人材を時には嵐で船ごと命を奪われる、という危険にさらしてまで続ける意義がなくなったからです。また江戸時代の鎖国は、当時の幕府のかじ取りにより、内乱への警戒や、海外貿易を管理する目的などにより段階的ではありますが行われました。それでは今回の文明の転換、もしくは日本文化発の世界の平和社会への移行は、いつ、だれによって始まるのでしょうか。

 わかっていることは、その第一次は既に過去においてなされたということです。江戸時代の開国というものを、日本が劣位戦の参加者だったとみれば、外圧によりその時から日本は海外に目を向けざるを得なくなったからです。そしてその後いくつかの戦争を経て、日本も国際社会の仲間入りをし、一時は経済力で世界のトップクラスにまで駆け上りました。しかしこれはいってみればマイナーデビューです。なぜなら開国当時、泰平の260年の間に醸し出された文化の担い手は、すでに一般大衆の手にあったはずです。そうであるならば、その主役が自らの意志で、自分のホームグランドで、自分自身の配役を演じ始めた時こそが、本格デビューの時期となるからです。おわかりでしょうか。大衆文化であった江戸文化が、その知恵と自然との共生の精神を掲げ、世界の平和を実現すべくメジャーデビューするということの真の姿は、その担い手である一般大衆によってこそなされなければならないということなのです。このことが意味するのは、ホームグラウンドはあなたの日常生活であり、配役はあなたの人生における経験すべて、そしてあなたが愛に満ちた平和の心で社会と関わろうと歩き始めるクランクインとともに、世界を舞台にした、江戸時代シーズン2がスタートすることになるのです。


 

 


#創作大賞2022

いつの世も 人の出会いは ゆくりなく 見えぬ糸にて 繫がれしか