(仮)エドリューション その10

  別の角度から見てみてもそのことは理解できると思われます。テクノロジーが最も発達しやすい時期は戦争の時であり、最も発達しやすい場所は軍事機関においてです。原子力発電所は核兵器開発の産物ですし、私たちの身近にあるカーナビやスマホといったものは、もともと軍事技術であったものが下げ降ろされて民間で利用されるようになったものです。よく言われることですが、米軍や某国の軍の内部では、私たちが利用するはるか先の技術が既に実用化されているということです。それらをうかがい知ることはできませんが、戦争と軍事とテクノロジーはそれぞれ親和性があるといえます。 

 またそうであるならば、戦争と軍事とテクノロジーの対極となる、平和と民衆と文化的教養は、それぞれ親和性があるといえそうです。これらに自然が循環する法則に沿った生き方、というものを付け加えると、江戸時代の様相を表すことになってしまいます。確かに平和な時代であった江戸時代には大衆文化が花開き、庶民の習い事をする風習もこの時代に始まっています。また、自然との共生の反対は環境破壊ですので、テクノロジーの発達はやはり環境破壊を後押しする傾向があるといえるのではないでしょうか。そしてこの理論で行くとやはり、文化的教養つまり心の充足に重きを置こうとすると、自ずから自然との共生が重要になってくるということです。

 今日重要視されている、多様性ということについても同じ枠組みで説明が出来ます。私たちが生息する生態系というシステムを見ても、植物、動物、微生物の多様な生物が、酸素、二酸化炭素、有機物、ミネラルなどを循環させながら、互いにその一因となってネットワークを作って成り立っています。そしてそのネットワークはそれぞれの数や種類が多いほど、レジリエンス(困難な問題や危機的状況に対してしなやかに対応して回復する力)は高まります。身近な例で例えるなら、私たちが学校や職場へ通うとき、電車が1路線だけであるよりも2路線あるほうが、電車だけのみではなくバスが走っているほうが、どれかの交通手段が何かの理由で利用できない時にも、目的地へたどりつく事が出来るというようなものです。

 つまり、破壊された環境を修復するということは、自然の循環するシステムを正常に戻すということですので、そのためには多様性が重要になってくるということです。そしてこれは自然界に限ったことではなく、人間の社会においても同じことが言えます。なぜなら人間が生きていく上に置いて、自然そのものも、人が生活を営む社会であっても、人間を取り巻く環境ということに変わりがないからです。それゆえそれらの大きく傷ついた患部を回復させるために、働き方や、生き方、価値観や制度といったあらゆる面においても、多様性ということが求められているのです。


#創作大賞2022

いつの世も 人の出会いは ゆくりなく 見えぬ糸にて 繫がれしか