覚え書き的な何か

 橘真児としてのデビューは1996年。それから早27年。思えば遠くへ来たわけでもないか。はー、ちゃんちゃん。
 そんな御託は不燃ゴミとして回収してもらうことにして、以下駄文。

 たぶん昔やってたホームページで書いたと思うのだが、ペンネームの由来はデビュー前年に放映されたテレビアニメの主人公である。シンジという下の名前をいただいて漢字を当てはめ、姓は1文字にしようと適当に決めた。

 で、そのアニメについて、ちょっと書いておく。わざわざタイトルを出さなくても、主人公の名前で丸わかりであろう。

 テレビシリーズは最初から視聴したわけではない。たまたまテレビを点けたらやっていたのが第7話で、面白いなと思って次回も視て、それでハマったのである。放送が終わったあとでビデオを購入し、見逃した最初の6話分もあとでフォローした。その後、最初の劇場版(テレビシリーズの改訂版)も観た。

 ちなみに、自分は特にアニメ好きではない。テレビシリーズの全話をきっちり観た作品は、かなり限られる。他はなんとかモモと、ギャラクシーなんとかと、そのぐらいだ。あ、ビッグなんとかもあったか。余っ程気に入ったものでないと、根気が続かない。

 ペンネームにキャラクターの名前をいただいたぐらいだから、先の作品は数少ない気に入ったものの1本だ。特に好きなのは最初のテレビシリーズで、世間的には物議を醸したようながら、自分はあれが一番しっくりきた。最初の劇場版(テレビシリーズの改訂版)は、ハッタリと説明が増えてややこしくなっただけで、言いたいことは変わっていないと思った。

 で、その新劇場版がつくられて、後ればせながら、この度ようやく全4作を観ることができた。

 そもそもこの作品、最初の企画書からどんどん外れて収拾がつかなくなった感があるものの、それだけに監督の主張が前面に出て、そこが面白かった。最初のテレビシリーズが好きなのは、荒いなりに思いがダイレクトに出て、それがこちらにも伝わってきたからである。設定的な説明なんて、どうでもよかったのよ。

 新劇場版がつくられると知ったとき、いったいどうするのかと思った。すでに完結しているのだから、まったく別のものにするのかとも考えた。

 で、観終わっての感想。
 なんだ。やりたいことは一緒だったんじゃん。ただキャラクターと構成と、ラストを(表面的には)変えただけ。おそらく監督が伝えたかったことを、できる限り精緻に描こうとしたのだろう。

 とは言え、新劇場版で初めてこの作品に触れたひとは、ちんぷんかんぷんのような気がする。昔から観ている者は、あれこれ補完するからわかるけど。
 まあ、でも、あそこまで徹底してやらねば納得できなかったという、監督の心情も理解できる。無事に終わってよかった。

 というわけで、自分のペンネームに関係しているので、半ば義務的にこれを記した。お目汚し勘弁。