私がKPに感じる違和感
皆さんご存知だとは思いますが、合わないと思ったらプラウザバックです。
はじめに
皆さんはKing&Princeというジャニーズ事務所に所属するアイドルグループを知っているだろうか?
King&Princeはデビュー前から何かとTwitterのトレンド上で話題になっていて、芸能界情報にかなり疎い私でも存在自体は知っていた。
その当時の私の心情をあっぴろげに言ってしまうと
「またジャニーズができたんだ」という感想以外、興味も関心もなかった。
なんせ、当時の私は乃木坂や欅坂の音楽にハマっていた上に、小中高でジャニーズに対して印象づいた
”ロン毛でチャラい、すぐ上半身をはだけさせる集団”
という苦手意識が先行していて、気にも留めていなかったからだ。
「国民的彼氏」と「国民的彼女」
そんな私が再びKing&Princeをネット上で見かけたのは、その数ヶ月後だったか、数週間後であったか記憶にはない。ただ、まだデビューして間もない頃だったと思う。
その時のメンバーの紹介で私は酷く衝撃を受けた。
平野さん、永瀬さん、髙橋さん、岸さんのキャッチコピーは正直覚えていない。しかし、下記の2人のキャッチコピーは私にとってアイドルという概念を考えさせるものだった。
神宮寺さんは「国民的彼氏」。岩橋さんは「国民的彼女」。
いや、メンバー内でカップル成立ですか。
腐女子受けを狙ってんな?これはヤバいグループだ。
そう思ったのを今でも覚えている。
私が考える一般的なアイドルというのはファンに夢を与え、またファンに妄想の余地を与えるという存在だ。
例えば、もしこのアイドルと付き合ったらどういう風に対応してくれるのだろうか、デートしている時にどんな発言をするのだろうか等、
現実では限りなく不可能なことでも、アイドル活動を通して感じる普段っぽい1面から想像を膨らませ、胸をときめかせる。
そういったことを想起させる存在であるというのが、アイドルだと思っていた。
(この考えに基づくと、アイドルに特定のパートナーがいた際に1部のファンが狂ったようにSNSでパートナーを詰るような暴言を書き込んだりするのも、また握手会で暴動を起こすのも理解できなくもない。)
しかし、上記の2人は違う。
正確には、岩橋さんのキャッチコピーの影響で神宮寺さんのキャッチコピーも本来とは違う印象を受ける、と言った方が正しいか。
神宮寺さんの「国民的彼氏」は正直に言って、アイドルとして平凡なキャッチコピーとも言っていいだろう。”彼氏”というキャッチーな言葉を使ってファンに妄想の余地を与えるといった手法は比較的よく見られる。
一方、「国民的彼女」というキャッチコピーはどうだろうか?
ジャニーズという事務所の特性上、ファンの圧倒的多数は女性であることは間違いない。
岩橋さんのキャッチコピーは一体どのファン層に向けたものであるのだろうか。私は未だによく分からない。ましてや彼が活動休止をしている状態では知る由もない。
そして、両者ともに”国民的”とつけていることで両者がカップル的存在に価するのだと、特にジャニーズに興味も無く、ファンでも無い一般の人が感じてもおかしくは無いだろう。
少なくとも私はそう思った。
そのため、腐女子向けに作られたグループなのかな?と思ってしまったのだ。
私自身、BLやGL、その他諸々...一般の場では言い難い作品も楽しく読んで生きてきた。
しかし、そういった特性を好んで読んでいたのでは無く、NLといった所謂一般向けの作品と同じ扱いとして読んできたのである。ただときめくから、感動するから、この作者の文章が好きだから。そんな感覚で読んでいた。
けれど、一般から見れば”腐女子”の枠に私も入るのだろう。
そこで、疑問に思う人もいるだろう。
何故 ”腐女子” が ”腐女子向けに作られたグループ” を嫌煙したのか、と。
私がこのグループ嫌煙した理由は、ひとえに「BLやGL、その他諸々は秘される存在であるべき」と考えているからだ。
彼の発言によって、秘されるべき娯楽的嗜好であるBLが大衆にさらけ出されてしまったと感じ、それ故このグループを嫌煙したのだろう。
しかし、良くも悪くも私は忘れっぽい上に、芸能界の情報に全く興味の無い人間だ。
そのため、随分と長い間「King&Prince」というグループ名はすっかり忘れ、「国民的彼女」というキャッチコピーもジャニーズの誰かが言ってたという嫌悪感程度の記憶に留まり、紅白で偶然耳にしたシンデレラガールを愉快にお風呂場で歌ったりしていた。
全くもって大衆の典型と言ってもいいほどの人間である。
再会
そんな忘れっぽく、芸能界に興味の欠片も無かった私が何故、再びKing&Princeと出会ったのかは私の趣味と関連する。
1点目に私は昭和の歌謡曲好きで、買物ブギーや夏のお嬢さん、かもめが翔んだ日などを好んでYouTubeで聞いていた。
そんなある日、流していた再生リスト内に光GENJIのガラスの十代が紛れ込んでいたことから始まる。そこからどうハマったのかは主題から外れるため割愛するが、私は彼らに今のジャニーズでは見ることの出来ない特有の魅力を感じたのだ。
2点目にInstagramで髙橋さんの演技と遭遇したことだ。
これは本当に何故か分からないのだが、IGTVの項目に胸きゅんスカッとで髙橋さんが演じている映像が出てきたのである。勿論King&Princeと認識している訳がなく、ただ珍しく演技が上手い子だなぁと少し気になったのだ。
ところで、私は気になった事や分からない事はすぐ調べる質である。私は映像を見終わった後に検索をかけたところ、King&Princeのメンバーの1人だと判明した訳である。
なるほど。
まあ、とりあえず曲を聞いてみるか。
そこでタップしたのは「koi-wazurai」。これが私が彼らに魅了される契機となった。
魅了された最大の理由は「koi-wazurai」の踊りに光GENJIの残滓を感じ取ったためである。少なくとも今風では無いザ・ジャニーズと言うべき光GENJIの魅力的な踊りは、今風の踊りの中に確実に生きているのだな...と感慨深くなり、愛着を持ってしまったのが運の尽き。もといキンプリ沼に足を踏み入れた瞬間であった。
Mr.KINGとPrinceの違い
そんなこんなで、私はレンタル屋でアルバムとシングルを借りて音楽を聞き、彼らを追いかけ始めたのだが、ここで1つ違和感を感じることになる。
それはグループ内での表現の違いである。
平野さん、永瀬さんはどちらかと言うとカメラに媚びるように歌うのではなく、歌唱や踊りを魅せるタイプ。
岸さん、神宮寺さん、岩橋さんはカメラに愛想を振りまき、感情を画面越しに訴えかけるタイプ。
高橋さんはkoi-wazuraiより前の楽曲では魅せるタイプであったが、最近は後者の傾向も取り入れた融合タイプ。
”魅せる”と”アピール”。
はてさて、何故1つの楽曲を歌うにも傾向が見事に”3対3”で別れているのだろうか?
ネットの情報を集めてみると、どうやら彼らがデビューする以前のグループの傾向がそのまま受け継がれてるらしい。
魅せるタイプの平野さん、永瀬さん、髙橋さんが所属していたMr.KING。
アピール重視の岸さん、神宮寺さん、岩橋さんが所属していたPrince。
この二つのグループが合併したグループが「King&Prince」であるそうだ。
私の感じた少しの違和感はきっとグループの合併による、まだ融合しきっていない1部なのであろう。
私には”魅せる”と”アピール”の優劣はつけることは出来ない。どちらも捨て難い才能である。
私が更に違和感を感じたのは、シングルが最近になるにつれ、”魅せる”と”アピール”の溝が広まり、深くなっているという点だ。
具体的にはMr.KINGであった平野さん、永瀬さんは益々”魅せる”傾向が強くなり、Princeであった神宮寺さんは”アピール”の傾向が更に強くなっている。
全くもって不思議な現象。
月日を重ねるにつれ融合し合うのではなく、水と油のように分離していくように感じるのだ。
尤も、私は相も変わらず芸能界情報には疎いし、なんなら最近流行りの芸能人も分からない。仲間内でドラマの話をされた日には早々に白旗を挙げる程の人間である。
ましてや、ジャニーズなどはキンプリと光GENJI以外の楽曲はサッパリである。それ故、グループの売り方やあり方について物申すのはとんだ見当違いもいい所だ。
そんな私がお門違いにも、このグループに願うのは末永いグループでの音楽活動とメンバー全員の幅広いジャンルでの活躍である。
またMr.KINGとPrinceの活躍も期待したい。あまりにも表現の違いが明確に別れている2つのユニット。もし、再び 別個の活動をしたのなら、より一層の活躍が見られるのではないかと密かに感じる。
そして願わくば、私がこのグループに出会う、最終的なきっかけとなった髙橋海人さんの演技をまた違う作品で見てみたいと思うばかりである。
長らく沈黙を保っていたグループでの活動も先日のシングル発表によって活気づいてきた。
急かさない方が良いとは分かっているが、岩橋さんも含めた活動も早く見てみたいものだなぁ、と新参のファンである私は公式のカレンダーを見ながらふ、と思うのだった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?