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インターネットにより集団ヒステリーが容易に伝染する社会。醜聞報道に際して思ったこと。

 2016年に入ってから、ネット・ニュースで著名人の醜聞に驚く機会が増えた気がします。僕はテレビを全く見ないので、タレントには興味がありません。ただ、今回の「彼」の件については多少驚きました。それが冷めないうちにと、少し考えたことを綴ります。なお、これは特定の個人に対する「擁護」でも「批判」でもありません。何かと言われれば、「内省」のようなものです。ご容赦を。

 言葉とは恐ろしいものです。何故なら、言葉は観念を作ります。そして、観念によって、僕たちは物事を想像する力を得ます。

 エロスとタナトス。聞きかじった程度の知識ですが、フロイトが広めたこの言葉を思い出しました。エロスとは、ギリシア神話で愛と性を司る神。エロスは「生の欲動」を体現したプシュケーを誘惑し、結ばれます。一方、死を司る神がタナトスです。

 時に凡百の人々を圧倒し、卓越した業績を残す個人がいます。「彼」も世間的には、その一人だったのではないでしょうか。彼らは、「普通」という大集団から抜け出し、世界に対して自分を表現するための手段を手に入れました。しかし、いったい何が彼らをそこまで衝き動かすのか、その普通ではない「生の欲動」の在処に、僕はいつもえも言われぬ興味を惹かれます。

 突き抜けた存在。絶筆に尽くしがたいほどに圧倒的に優れたものは、実は、いつも目を背けたくなるような醜悪さと背中合わせだったのではないでしょうか。あのモーツァルトも、ピアノから離れればどうしようもない俗物であったと聞きます。きっと、タナトスとの抜き差しならない緊張を抱えて生きている人ほど、外側の世界に対して生きる力を躍動させるのです。その裏側にドロドロとしたエロスがあるのは、成り立ちから言って避けられないものなのかもしれません。

 エロスとタナトスの歪みによって成り立つもの。自己矛盾こそが存在条件であるような、このジレンマに苦しまない人間がいるのでしょうか。

 再び、言葉とは恐ろしいものです。

 けれども、言葉を失った世界はもっと恐ろしい。そこには想像力がありません。インターネットの軽々しい言説、罵詈雑言が容易に伝染し合って、いい歳をした大人たちが一人の個人を徹底的に追い詰めます。これでいいんでしょうか?惻隠の情、憐みや悼みの心。人生の割り切れなさ、人の心の不可解さをそっと忖度できるような、「白と黒の間に広がる限りのない陰影」を理解できる理性を持ちたいものです。

* ただし、一部報道されているように、「彼」が政治家になることには私は反対です。身近な人を傷つける人間は、きっとどこかで「他人」に対する恨みを持っています。そうした人間を選んでしまったことによって、社会の「不幸」を増やしてしまったような過ちを、私たちは繰り返してきたのですから。

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