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人には常に今日しかないという事実の意味


 今日も世界はめまぐるしく変わり続けていますが、いかがお過ごしでしょうか?今回は”今日”ということをテーマに僕なりの哲学を少しお話しようと思います。

・記憶力、想像力、妄想力が補完する過去と未来

 人は意識的にしろ無意識的にしろ常に過去、現在、未来を行ったり来たりしながら生きていますよね。ある時仕事に失敗して「あの時〇〇を準備しておけば、〇〇を気を付けていれば失敗せずに済んだのに・・」と過去を後悔したり、「来週は友達とのランチだけど、何食べようかな?」と未来に起こるであろう出来事を想像して計画したり、今日生活しているその時、その場所で過去へも未来へも移動する能力が人には備わっています。そしてこの能力は使い方によってその人の人生の品質や満足度を上げたり、下げたりしますね。

・意識しなければ、”今日”というものが一番蔑ろにされる

 皆さんは、朝起きた時にまず最初に何を思うでしょうか?
「今日も仕事だ」「ご飯の支度しなきゃ」「子供を起こさないと」「今日は雨か」など色々人によってまちまちだと思いますが、僕の場合はまず、「今日という日を過ごしてよい許可を貰えた。ありがとう」から一日が始まります。それは、記憶を使うこともなく、想像力、妄想力を使うことなく実感できる今日という日がいつも特別であると思っているからです。それは何故かと言うと

  • 病気や事故などで死の淵を彷徨った経験があり、健康で生きられているということがどれだけ素晴らしい事か心から実感できるから。

  • 未来に起こることは誰にもわからないから。

  • 今、生きているという事は今日を過ごしてよいという証だから

僕は上記のようなことを日々実感しながら今日も生きています。しかし自分の周りの世界を冷静に見渡してみると意外に今日があることを当たり前に感じて生きている人たちが多いことに気付くことができます。「〇〇日までに〇〇しなきゃ」「老後のために保険に入らなきゃ」などと先回りして常に未来の計画を立てながら、未来に思いをはせながら生活する人、「あの時〇〇しなければ今ごろ〇〇できていたのに・・・」と過去の過ちを引きずりながら生きる人、勿論反省して生活を改善していくことは大切ですし、計画を怠ると、簡単に生活の品質が下がるリスクを孕んでいるのがこの資本主義社会ですから丁寧に計画しながらその計画に従って生きていくことはとても大切だと思っています。
 しかしながら、過去に犯した過ちも、未来の事象を迎えることも全ては今日の過ごし方が起点であり、今日の選択が起点なんですよね。それを意識しないと今日という大切な日はいつまでも蔑ろにされ続けます。

いきなり階段10段抜かしはできない。まずは今日を大切にしてみる

 生きることを諦めた人でない限り、この平穏な日々を続けたいとか、今よりももっと充実した人生を過ごしたい、今の生活を改善したいと思い生きている人がほとんどだ思います。しかし何もせずいきなり億万長者になれたり、何も変化せず現状が一生涯続くことはまずないでしょう。そこには常に今日を数々積み重ねてきた結果しかないということです。そして当然のことながら、一日の時間は24時間しかありませんから、積み重ねられる範囲や量というものは限界があります。例えるなら、階段を上るときに2段抜かし位は可能だと思いますが、(人によってはもっとできるかもですけどね・・)10段抜かしはまずできないでしょう。今日という一段を上らなければ、明日という二段目はありませんね。つまり今日の過ごし方、選択が明日へ繋ぐ、明日を創るということですよね。だからこそ、今日という日が一番大切なのですよね。今日という日に種を植えなければ、どんなに待っても未来に花は咲きません。だからこそ、今日という日が何よりも愛しく大切なのですね。これだけ情報が氾濫する世界ですから、未来の不安に引っ張られがちですが、時には早起きしてゆっくり過ごしながら今日に感謝して一日を始めてみると思わぬ素晴らしい発見があるかもしれませんよ!

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