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山形の姥神をめぐる冒険 #29

【花楯公園脇の辻】 山形市花楯  2024年2月

 これも古い町に残るアーバン・ウバ。
辻に建てられた立派なお堂の中にいたのは、自然石の表面を浅く彫った姥様だった。花やお神酒、お菓子も備えられて舌を出しておっとり座っている。
 地区の歴史を語る角柱には、江戸末期の石像で、原田隆氏宅の井戸より発見されたとあった。明治元年の神仏分離令の時、自然石のため一部だけ切って捨てることもできなかったのだろう。廃仏毀釈の影響を受けた姥神はたくさん見てきたが、このようにシンプルな造作だと丸ごと残る可能性が高い。頭部だけ無い姿は、わかっていてもやはり無惨なものだ。


 石像の首を切り取り、鼻を削ぐ。丸ごと井戸に投げ込む…。それをした当時の日本人がいる。彼らはどんな思いだったか。

南方熊楠は言った。

「信は捨つべからず、民信なくんば立たず」
と孔子の言葉を引用しながら、
「…俗にも正直の頭に神宿ると言い伝う。しかるに今、国民元気の根源たる神社を合廃するに、かかる軽率無謀の輩をして、合祀を好まざる諸民を、あるいは脅迫し、あるいは詐誘して請願書に調印せしめ、政府へはこれ人民が悦んで合祀を請願する款状なりと欺き届け、人民へは汝らこの調印したればこそ刑罰を免るるなれと偽言する。」

『神社合祀に関する意見』 明治四十五年

 無理矢理に神仏を破壊し、捨て去ることを強要された人。激しい葛藤があったに違いない。それを伝える文書が残っているのかは知らない。姥神はあちこちで損傷を受けながらも復活している。正直者は馬鹿を見るなどと言うことは決してない、熊楠はそれを壮大な宇宙論で体感し、凡人の私は自分に言い聞かせる。
姥神様も見ている。


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