当事者以外が社会事業をうまくいかせる方法
社会起業型のビジネスが増えてきて、いつも思うのは、
当事者がやらないとニーズの細かいところ掴めてなくない?ということ。
それは当事者しか、そういう事業しちゃいけないって意味じゃなく、課題解決やニーズを満たす、って意味で成果や効果が薄くない?って感情抜きで無機質にみた場合でも。
でも、当事者って、その時点でこまっているから当事者なのであって、ニーズと関連する社会のなかの仕組みや制度に詳しく、客観的にみれていたとしても、それを「事業」として回す余裕(気持ちやエネルギーや)がない。
かといって、ビジネス業界から社会起業に手を付けるようなひとたちは、全然ニーズがわかっていない。
結果、「ソーシャルビジネス」をほんとの意味でやれるのって、
当事者<だった>ひと
になってしまう。
経験値からニーズは掴めて、その後ビジネスの回し方を身につけたような<だった>ひとは、むかしの自分を思い出すことで、課題解決のポイントがわかるし、<だった>ひとになることで、そこを解決する余裕を持てるようになっているからだ。
かといって、それでは一度苦労したひとがどうにかこうにか抜け出して、さらにがんばらなければ社会課題解決までとたどり着かない。
当事者じゃなくても、社会起業している人いるし、それはそれでずれてないひとたちもたくさんいるんだよな、という。(ビジネスビジネスしているひとたちが胡散臭いというか、社会課題で解決すべき層のひとたちを逆にターゲットとして事業にしてたり、苦労などを売り文句に「社会課題」を商売しているだけのひとも多いから。助けてんの?食い物にしてるの?っていう)
ポイントなんなんだろーって思ったら、ムリに共感とか、響くことばとか使っているんじゃなくて、「仕組みの改善」に注力しているような気がするという発見。
わからない、ことをむりやり共感するんじゃなく、
課題を見つけて仕組みで解決する
を淡々とやってるかたたちの社会起業って成果が出てるんじゃないかな。
意義とかストーリーを過剰に演出せず淡々と。
寄付とかするならそういう団体見つけるべきだなと思いました。