見出し画像

ライフヒストリーI 幼少期~学生時代

こんなテンプレがあるらしいので、やっぱり今後を考えるのにライフヒストリーは役立つのかも。

ちょっとアイキャッチ、内容と関係ないように見えるけれど、これ小さいころから感じていて、学校や仕事の内容はきつくてもいいんだけどあまり前とされているリズムが体にきつくて、もっと仕事増やしてもこなすから、リズムだけこちらに任せてくれない?ってずっと思ってた。

幼少期

あまり小さいころにいい思い出もない。
虐待とか、明確に悪い記憶もないけれど、まあそんなにまわりがこどもを慈しみ育てる、って感じじゃなくて、世話はちゃんとする、という環境だったからかもしれない。

大人同士にまあいろいろある感じで、それをひとりっこな上に親戚にもあまりこどもがいなかったから、大人をずっと観察して察してしまうこどもになってしまったことはマイナスではないと思ってる。

たぶん虐待はないんだけど、なんか記憶のなかで3歳くらいの頃、なにかにおびえて押入れにいつも隠れていた記憶はあって、そのころは親が入院していて、祖父母の家に預けられていた時期だから、覚えてないなにかがあんのかな?とは思ったり。

1歳くらいの記憶があって、全部とは言わないけれど、ある場面場面が動画で切り取った感じで残っていることがある。
こういうことは今でもあって、無意識に関連あることを記憶として動画化した状態で残っていて、あとでなにか関連を見つけることがよくある。

で、たぶん5歳くらいには、もう大人の行動を冷めた目で見てる(でも無意識だから態度や行動は従順です)幼少期だった気がします。

小学生時代

大人を観察、に慣れてしまっているから、
何か質問をされたとき、どの意味で聞いているんだろう、この空気感の場合、この先生の性格の場合、どの答えが正解なんだろう、と多方面考えてしまう結果、なかなか言葉にできず「大人しい」という評価が付くことが多くなる。

今となっては色々想定できるこども偉い!と大人的には思うけど、こども側としては「いろいろ考えてしまう優柔不断な自分」と思っていた。

別にあたまが特別いいわけでもないし、塾とか行ってないけど、ちょっとの間通信教育やっていて、そういう郵送物の学習教材が好きだった。
だから、今教材作成の仕事とかわくわくするんだろうな、と思う。

もうひとつ、図書館というか、本読むのは好きだったんだけど、そのなかでもなぜか「辞書」読むのが好きで(笑)
外に辞書持っていって読んでた記憶があります。例文とか、新しい語句とか漢字とか読むのが好きで、そこは今の翻訳の仕事や、日本語教育の仕事に繋がっているのかな?

そういえば、家にあったよくある押し売りされる(笑)実用書セット?みたいな厚い本のシリーズが好きで、家庭の医学っぽいのが特に好きでした。
これは医薬翻訳や、中医学の興味、ヘルスサイエンスのコースを選ぶあたりに繋がっているのかな。

なんだかんだで、小さいころから好きなものって、苦労なくやれていることに繋がるのか、って今ライフヒストリー、一つ目の発見。

とりあえず、このころから「学ぶこと」「自分で」が好きなんだろうーと思う。

中学生

まあ、普通の中学生だと思います。まだ反骨精神とかあまり出してなかったし。(というか規則や普通に沿わなくては、という感覚は人一倍強い。だから本当の自分の感覚とのずれでストレスが大きくなってしまう)

ただ、入学後すぐあたりの家庭訪問で、担任の先生に(別によくもわるくもない普通の先生)「大人しいですからね」とまあ、いつも言われている他愛のないことを言われたんだけど、なんかいらっとした(たぶん一面的な大人の評価、みたいな感じとおとなしい=マイナスイメージのニュアンスが言葉に含まれていたから)ので、暴力に訴えるわけにもいかないし、学校内で対抗する方法ってなんだろう、って中1のあたまで考えた結果、
「成績良ければ文句言わないだろう」
と思い、そこから勉強するようになり、中1の中間テストで3位になりました。
ここからなんというか「頭いいキャラ」になってしまうのですが、まあ、実際学校での動きはしやすかったので、それはそれで良かったです。
まだまだ旧式な学校システムのなかでも、それなりに毎日送ってました。

ただ、この中学の時点でパニックと、会食恐怖はすでに発症してました(当時は名前がないから明確に認識してないけど)

回りからの「食べる」とか「普通」の抑圧のない学校行ってたら、もしかしたら発症してなかったかも、というちょっとした思いはありますが、今さらですよね。

いまでもこどもの関連で「学校という建物」に入ると、体調崩します。
たぶん、明確なストレスはともかく「生理的に」拒否しているストレスが積もってたんだと思います。たとえば、体育祭のときに当たり前にする校旗に敬礼とか、だれかが叱られているときに全員に目をつぶらせるとか、スカートの丈をはかるとか。
校則とか以前に、軍人じゃないし、囚人じゃない、こどもであれひとに対するリスペクトがないことが「当たり前」とされ、だれも疑問を抱かない環境に、理性や感情は順応していても、生理的に無理、が積み重なったと今振り返ると思います。

だから、不登校の居場所をやったり、ムリに学校復帰とか(本人が行きたくて、とか、学校自体を変えて、とかじゃなく)恐ろしくて勧められないです。

とはいえ、たぶんこの時点で、結構退廃的というか、順応できないのは当たり前だったのかもしれません。卒業文集に、将来の夢に「1999年に地球滅亡するかもしれないし、先のことはわかりません。今できることをちゃんとやりたいです」みたいなこと書いてしまっているので。
(こどもも教えてないのに、おんなじようなこと書いたらしい。血筋・・・)

高校生

ここで普通に進学校に行ってしまったのですよね。
イイ気になって言っているわけではなく、私自身は、今も余裕ないのにオンライン大学で学んでいることからもわかるように「学ぶこと」が好きなんですよね。
何かしら新しいことを書き書きしてるのが好き。
で、その結果としてテストで試すのが好き。
好きだから突き詰めたくなって、点数があがる。
みたいな感じで。

それと小学生のときに低温やけどで右腕を傷めてしまって、書くという作業が続くと右腕1本がどこかをちぎって痛みを忘れようとするほど痛むんですよね。(それは今も。PCが当たり前になって楽にはなったけど)
そうすると進学校レベルのノート取りってすごい負担で、コピー活用したり、教科書に書き込んだり、いかに書く分量を減らすか考えていたら、結果効率的に勉強してしまう、みたいな。

だからみんなが一丸目指すような「大学進学」に興味がなく、勉強にモチベがないので、最初のテストは、クラスで下から2番目。とはいえ、そのクラスがレベルが高くて、360人中、300位以下がいなかったという。

その後も好きな教科だけ勉強するから、総合点数はそれほど高くないけど、数学だけ97点とか、古典や現国だけ学年最高点とか、で一方化学16点で赤点とか、大学進学用のモチベは全然なく、学校に隠れてマックでバイトして、アニエスの時計買ったりしてました。

たぶん好きなことには完成度を目指す→点数上がる(他人との比較じゃなくて完成に近づけようとする)だけで、興味ないものは完成どころか手を付けることさえめんどくさいというタイプだったかも。

となると、だんだん学年があがって、「大学進学のための学校」みたいになってくると居心地が悪くて。
辞めたい、辞めたい、と思っていたけど、今くらいに「高認」とか「通信制」とか知らなかったから、とりあえず通ってしまっていました。
たぶんいまくらい知ってたらとっくに辞めて働きながら勉強してる。

で、新築の学校だったから、たぶんこのころ化学物質過敏症発症してる。
からだが重く動かなくなってきます。
学生のころから体調悪すぎて、エンジョイなんてほとんどできないし、他の人が楽しいと思うことも苦痛だったのが現実。

家庭は可もなく不可もなく。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?