『この地球のどこかで』を聴くと初恋を思い出す

 突然ですが、皆さんの好きな卒業ソングはなんですか? 思い入れのある、でもいいけど。私は「春よ、来い」と「この地球のどこかで」です。前者、歌詞よく見たら恋愛ソングじゃね?説ありますがそんなのは無視を決め込みましょう。

 たまに口ずさむくらい好きなこの2曲。既に傾向が見えている気がしますが、どうやら私は「離れていても心は繋がっているよ。だから大丈夫だよ」みたいな卒業ソングが好きらしいです。

 一度ちゃんとお別れの挨拶とか儀式をして、未練なく別々の道を進んで、お互い元気でやっていることを信じて生きていく――言葉にすると大仰ですけど、そういうのが理想です。これは歌詞というより生き方の話。うやむやのまま別れて関係が途絶えるのは、しんどいので苦手です。

 とまあ、ここまでは前置きです。今日は、さっき挙げた卒業ソング「この地球のどこかで」にまつわる、初恋の思い出話をしましょう。

(以下、エッセイっぽさを目指した文章が続く)

「この地球のどこかで」という曲に出会ったのは、たしか小学4年生のとき。音楽会で、自分たちの学年は合唱曲としてこの曲を唄った。もう10年単位で前の話、詳しくは覚えていないけど、確実に言えることがふたつある。

 楽曲のメッセージ性などには授業であまり触れられず、ただ課題発表として唄ったようなものだというのがひとつ。もうひとつは、それでも当時の私は「いい歌詞だな」と思って、向こう何年も心の片隅にこの曲を置いているということ。

 比較的まっすぐでわかりやすい歌詞だったから小学生の私にも理解できたところはあって、これがたとえば「仰げば尊し」くらいの堅さ、難しさだったら、と思うと、いい時期に出会ったんだなあ。

 どこが琴線に触れたかも覚えていなくて、エッセイにするには弱いのかもしれないけど、冒頭で挙げた「こういう卒業ソングが好き」は、その頃からもうあったんだと思う。未来に希望の感じられる作品やお話が、やっぱり好きで。わたし自身の創作にも通じるところがたぶんある。

 歌詞を少し掘り下げてみると、言い切りがとても多い。

 みんな少しずつ
 大人に変わって行くけど
 あの日語った夢は
 いつまでも色あせることはない
 歩いて行く道は
 きっと違うけれど
 同じ空見上げているから
 この地球のどこかで

(共に流した涙)
どこまでも嘘のない勇気だね

 言い切るというのはけっこうな覚悟が必要だと思っていて(これは私が小心者なだけかもしれないが)、もし私が歌詞を書いたら「たぶん」「と思う」「かもしれない」「だといいね」あたりが頻出するんじゃないだろうか。

「この地球のどこかで」は、保証もない未来のことを明るく言い切っている。無責任と言ってしまえばそれまでだけど、その迷いのない前向きさに背中を押されている部分は、たしかにある。失敗が怖くて自己肯定感が低くて、自分に厳しすぎるのがたぶん私で。だから響いたんだろうな、とも思う。

 初恋はどうしたとお思いの皆さん、今からです。

 そのまま地元の中学校に進学したが、母校の小学校が1000人近い大所帯で、中学校でもその小学校出身が学年の7割以上を占めていた。つまり学年の大半は、音楽会で「この地球のどこかで」を歌っている、ということを前提にしてほしい。

 幼いなりのなんとなくかわいいな、優しい人だな、程度ではない、しっかり意識した初恋は、たぶんその中学生時代、中3のことになる。

 その人(仮にNさんとする、イニシャルとは関係ない)も私と同じ小学校の出身で、同じクラスだったこともあるが、当時はあまり関わりがなかった。たまたま一緒に学級委員をやったことはある。ただ、そのときは委員活動での関わりしかなかったし、活動自体も「一緒に頑張りました!」というほどの思い出はない。育ちのよさそうな人だな、いつも穏やかな人だな、くらいは思っていたかもしれないけど。 

 きっかけは、同じ推理小説のシリーズが好きだと言うことがわかったことだった。どうしてわかったのかは覚えていない。こいつは本当、大事な契機に限って忘れている。

 私もNさんも読書が趣味で、どこかに温かみのあるお話が好きだった。だからよけい話が合って、たまに本の貸し借りをしていた。こちらから何を貸したかは忘れてしまったけど、彼女が貸してくれた本の中に、『神様のカルテ』があったのを覚えている。あれこそ彼女の本の趣味と、内面(の一端)を表していたような。個人的にも気に入ったので、シリーズも3までは読んだはず。

 貸し借りの際に手紙を挟む、「昭和の恋愛か」とツッコミが入りそうな(というか、実際友人から入った)こともしていた。字も言葉も丁寧な彼女の文章が、本の話になると途端にくだけたものになっていたのが印象深い。会話でも同じ傾向があった。趣味の話になると熱くなるのはたぶんみんな一緒。

 とまあ、そんな感じで交流をしていた。誰にでも穏やかで人当たりがいいけど、常に一歩引いて接している感がある人だった。(だからこそ、本音らしきものが垣間見れて嬉しかったところはある)

 ようやく「この地球のどこかで」の話になるが、数年の時を経て再びこの曲と向き合ったのは、音楽の授業での、クラス対抗合唱コンクールの曲を決める時間でのことだった。ひとり2票で10曲程度候補があって、その中のひとつが「この地球のどこかで」だったわけだ。

 クラス全員でひと通り全部の曲を聴く。それを待つまでもなく、また歌えたらいいな、と思った。好きだから。だが私は、「この地球のどこかで」に票を入れる気はなかった。

 単純な話。「もう歌った」人が大半だろうから。私は、周りに遠慮したのだ。

 なんて愚かなんだ。歌いたいなら、なにも気にせず投票すればよかったのに。それに――

 1曲ずつ、投票されていく。そっか、あの曲が人気なんだ。たしかにいい曲だよね。それを繰り返して、「この地球のどこかで」の番がきた。案の定、挙がった手は少ない。たしか、2,3票。しかし――

 挙がった手の中に、Nさんのそれがあった。

 ああ、彼女もそうなんだ。音楽会で唄ったあの曲が心に残っていて、それを4,5年引きずって、また唄いたいと思ったんだ。「歌ったことある人多いし」なんて周りを気にしないで、自分の気持ちに素直になって、手を挙げたんだ。

 後悔しても遅いけど。あそこで手を挙げていたら、共通点がまたひとつ増えていたのにな。話のネタになっていたのにな。通じ合えて、お互い少し嬉しくなった……かもしれない。これは希望。

 素直になればよかったね、というだけの話でございました。

 その後の話を少しだけ。いろいろあって失恋して、今まで通り友達でいようとなった。例に漏れず気まずくて交流途絶えがちになったが、卒業式のときに小説を1冊と手紙をもらった。なんの本かは秘密。

 彼女は他県の高校へ進学した。メールでたまに連絡はとっていたけど、今は音信不通。成人式で一瞬会ったくらい。舞台女優を目指していた彼女。それは叶っているか、叶いそうか、あのとき聞いていればよかったな。

 でも、その夢が色あせていないことを、今も同じ空を見上げていることを、祈っています。

 と、オチがついたところで。これにておしまい。小話でした。今年も卒業と出会いの時期ですね。

あと宣伝です。卒業式のシーンがある、陸上部ものの百合(かもしれない)小説を近々連載します。既に終わりまで書いているので絶対です。よろしくお願いします。

(宣伝と絡めるの今思いついた)

#卒業ソング