【ボカロ小説感想】さよならサリンジャー/Kusemono(SWANTONE)

 【決定的な部分はぼかしていますが、入手の困難性を盾にネタバレ全開です。それでもかまわない方のみお進みください】

 細々とではありますが趣味でお話を書いている身です。一応。なのにブログどころかTwitter上ですら小説の感想をしたためたことなかったなあって思ってます。そもそもあまり読めてないってだけなんですけど。web小説以外も読んでいこうね。

 そんな私の初めての小説感想を、音楽チームSWANTONEのメンバー、Kusemonoさんが執筆したボカロ小説(同人…でいいのかな)『さよならサリンジャー』に捧げます。同名のアルバムと同時頒布で、こちらは単品でも手に入れられましたが、小説はアルバムとセットで購入しないと手に入らないという形式だったみたいです。過去形&推測なのは、もう6,7年前の作品なのでサイトなどから読み取ったのが合ってるか自信がないからです。

 お分かりかと思いますが、ずいぶん前に廃版(廃盤)になっています。しかも同人なので世に出ている冊数はそこまで多くないだろうと思われます。私がこの本に出合ったのは、ひとえにとあるTwitterのフォロワーさんから読んでみてとお貸しいただいたからです。めったにない機会、本当にこの本と出会えてよかったなと思います。それくらい、鮮烈な読書体験でした。

 そこそこ長くなってしまった前振りが終わったので、以下からは簡単なお話の概要と感想がどわーっと並びます。

「私と最高のさよならを決めてみない?」  プラネタリウムで出会った少女ジェイディは退屈だった僕の日常をその一言で変えてしまった。ライブ、やるんだって。絵、僕と?僕の曲で?何かよくわからないんですが、僕はまた一歩、彼女の広げた風呂敷に足を踏み込んでしまったみたいです。スワントーンのオリジナルミュージックに乗せて繰り広げられる夕焼け青春ストーリー! (裏表紙あらすじより引用)

 これにもう少し補足すると、主人公の『僕』は、一浪一留の22歳大学5年生(作中で大学を卒業しますが)。ボーカロイドで作曲してネットに投稿することと、閑散としたプラネタリウムで館長による『星空解説』をだらりと聞く(というか聞き流すor眠る)ことだけが趣味。友人はほぼおらず、就活を名目にしてバイトを辞め、サークルにも入っていない。"まともな社会人"になることをよしとできないままモラトリアムに浸っています。あとけっこうスケベ。むっつりスケベ。

 そんな(世間一般からは)お世辞でも褒められはしないだろう生活を送っている『僕』が、自作曲の歌詞を考えるためのノートを常連の喫茶店で紛失してしまい、変わり者で自由人でパンク精神に満ちた少女ジェイディがそれを拾ったことからこの物語は始まります。

 ジェイディに『面白いね』と見染められた『僕』は、あれよあれよという間に彼女の『プラネタリウムでライブをする』という計画に巻き込まれてしまい、二人で計画を進めていきます。

 ジェイディの祖父(二年前に故人)はプラネタリウムの技師と星座絵の一部担当をしていて、彼女も中学生くらいまではよく通っていた。そのプラネタリウムは老朽化によって改修が決まり、そうなると改修のあかつきには最新機種による自動上映になって、館長による手動解説はお役ごめん。だから最後のライブ解説を一緒に盛り上げたい。どうやらそういう意図らしく。そんなお話です。

 感想……何から語ろっかなあ。言いたいことが沢山あるけど、とりあえず初読の感想を順に追って、という感じでいきます。

 正直な話、最初の6~70ページくらいはそこまでピンとこなかった。私には。テンポのいい会話劇と饒舌な『僕』の一人称語りは楽しかったけど、反面ちょっと回りくどいような、削ろうと思えば削れそうな、そんな気がして。ジェイディとの会話は哲学めいた話やサブカルチャーの話題もわりと多くて、部分的にこむつかしく感じるところがあったりするし。(個人の感想です)(あと私の教養が足りない)

  だけど、中盤近くからだんだんとボルテージが上がっていきます。たぶん。お互いの胸の内を過ごしずつ知って、大人になれない、なろうとしない未熟な自分を見つめて。ジェイディ以外の登場人物からも刺激と示唆を受けたりして。

 ライブの準備と練習は順調に進んでいきます――前日までは。

 その後の話は、気になりましたらご自身でお確かめください。

 この話のどこに惹かれたか。いくつもあります。例えば、この話全体を通して取り上げられる『さよなら』という言葉。先述のあらすじでも出てきますが、これこそがジェイディの目的でもあります。老朽化したプラネタリウムと引退する館長、そこに残る祖父の面影。それから、それから?『さよなら』はひとつだけではありません。色んなものに『さよなら』を。

 僕はあの冬、ここで彼女と出会い、 ――そして、別れた。 (『さよならサリンジャー』序章前の冒頭より引用)

  そもそもが、『さよなら』をするためのお話です。

 ジェイディが言う、かぎかっこ付きの『さよなら』が何を意味するのかはここでは伏せておきます。ただ、少しだけ述べるとすれば、とても前向きな概念です。大好きで必要だと思ったものとは、一度自らの意志で訣別する。本当に必要なものを、自らの手でつかみ取るために。

 大丈夫。真に大事なものなら、必ずまた出会えるから。そんな感じです。

 色んな『さよなら』が出てくるのはさっきも言いましたけど、その一つひとつが印象的な描写でこちらに訴えかけてきます。必要だと分かっていても、お別れを告げる過程に切なくなる。

 そう、切なくなるんです。手あかのついた言葉ですけど。

 もうほとんど最後、エピローグの一歩前みたいな場所に、とびっきり甘いシーンがあるんです。『僕』とジェイディ二人っきりの、ぴったりくっついて指まで絡めて過ごすシーンが。でも、これも『さよなら』なんです。お互い、別れがすぐそこまで来ていることをわかっている。わかっていて、恋人のような時間を過ごしている。ひとつずつ『さよなら』の準備を進めている。

 だから、その甘さはあまりにも儚い。それだけで胸が締め付けられるのに、すぐ後に『さよなら』が描かれる。どちらもが痛みを抱えたまま、一方は決意と展望をもって、もう一方は受け入れきれずにすがりつこうとして。そうして、二人はお別れをします。最後まで両者は対照的で、それでいてよく似ていました。

 終盤は泣きそうになりながら、勢いづくように読み通しました。

 もう二つ惹かれた点の話をします。片方はキャラクターの話です。

 このお話には主に三人のサブキャラクターが出てきます。癒し系でドジっ娘、でも芯は強い喫茶店の店員『しのさん』。かつては破天荒なお騒がせ野郎、でも就職してからはすっかり真面目で『つまらない』人間になってしまった主人公の元悪友『本間』。プラネタリウムの解説・運営もしている紳士なおじいさん『館長』。

 誰もがこのお話で活きていて、生きています。特に本間。最初『僕』の社会に迎合するのを嫌う性格と劣等感を強調する役割のキャラなのかなと思いました。思ってました。すきです。

 活きているのはキャラだけじゃないです。出てきた要素は、ささいなものであってもこの小説内ですべて回収されている。驚かされる。再登場するたびにあ~~~!!ってなる。 

 本当に構成が巧み。そして語りが小気味いいしキャラが生きてるし感情を揺さぶるのがうまい。描写も印象的。Kusemonoさん、これが人生で初めて書いた小説だそうですが、いまだに信じてないです。一応趣味で物書きしてる身からしても、心底尊敬する。出版社さんから声かけられてほしい。読者として読んでも物を書く人として読んでも、本当にすごいなと思いました(語彙力喪失)

 とにかく、モラトリアム期を描いたボーイミーツガールとして本当におすすめだし、同時リリースのアルバムを聴きながら読むともっと楽しいです。このアルバムの収録曲の一部が、小説に出てきます。もしこの小説とアルバムを入手する機会がありましたら、小説内に書かれている歌詞・楽曲の描写とリンクさせながら読み、聴いてみてください。きっと没入できます。

 最後にこのアルバムの表題曲とクロスフェードを貼っておしまいにします。お読みいただきありがとうございました! 

 

 (他に書くとこがなかったので微妙におしまいじゃなくなったのですが、この小説にはひとつ面白いものがあります。漫画だとたまに見るんだけど小説でこれは珍しいかも)

#vocanote #vocaloid #ボカロ小説