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死に至る出会い、そして

 中学校の時の教育実習生と人生について語っていた時に「人間の数だけ精神病が存在するのではないか」という仮説が自分の中で生まれました。今でもその思想は健在で、全員精神病なんだから怖くないくらいのメンタルで日々過ごしております。世の中いろんな人がいて、各々が人には見せない何かを抱えて生きている。そう思わないとやっていけないっていうところもあるんじゃないかと思っています。また、世の中には鬱アニメ・鬱ゲーなるものが数多存在し、我々が先述の思想を持ち続けるエネルギーになってくれます。「自分だけじゃない」そう思って救われるんです。

ここからは、しばらくオタクの話になるので読み飛ばしてもらって大丈夫です
 「新世紀エヴァンゲリオン」というアニメをご存知でしょうか。そう、ロボットに乗って攻めてくる使徒と戦ったりする、あれです。僕が初めてエヴァを見たのは中学1年の時だったと思います。新劇場版を見てロボットのかっこよさにハマり、シリーズを追いかけたいと思いました。そうやって出会ったのが最初期のアニメ版でした。これがいけなかった。

 新劇場版では大分マイルドになっていますが、アニメ版はところどころガチの鬱要素がふんだんに込められております。登場人物にそれぞれ抱えるコンプレックスがあって、人物同士が絡んでいくことでそれぞれの世界が狂い始めていきます。特に物語後半で使徒(敵)が精神攻撃を仕掛けてくるあたりからが大変です。第15使徒のアラエルは、地球からの攻撃が届かない位置から謎の光を放って光を浴びたエヴァ2号機のパイロット(惣流・アスカ・ラングレー)を廃人状態にまで追い込みます。
 アスカは、母親が(娘だと思い込んでいた人形と一緒に)自殺したせいで幼少期から他人からの承認を得られない身の上にありました(母親を破滅させたのもエヴァだったりする)。そのトラウマを使徒に掘り起こされて、もともとメンタルが赤ちゃんだったアスカはエヴァを動かすことすらできなくなってしまいます。エヴァに乗り、力を示すことただ一点に自分の存在価値を置いていたアスカにとって、エヴァで活躍できなくなることは、存在価値の喪失を意味していました。そして、ついに精神が崩壊してしまいます。

 あまりに現実的すぎませんかね?使徒もエヴァも実在はしませんが結果起こってくることは十分あり得る話ではないかと思うんです。あらすじだけざっと読んでも少し辛いものがありますが、ストーリーや物語の展開、映像と合わさるとさらに鬱度合いが増してきます。(エヴァのストーリーに関しては間違ってるところが多々ある可能性がありますのでぜひ「アスカ 精神汚染」で検索)

こっからは真面目な話
何が言いたかったのかというと、「この中のこいつよりはマシか」と思えたらまだ生きやすいよねってことです。現実では起こり得ない残酷な結果に苦しめられている登場人物を見て、あぁかわいそうだ、と思うのです。そうすることでやっと自分をこれまでより正確に近い(決して正確ではない)目で見て希望を持てるんではないかと思うんです。少なくとも私はそうやって生きてきた節が多くあります。正しいかどうかなんて問題ではありません。根底にある心理が正常でないからね。

僕がシンジくんと重なって鬱った話は次回

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