ぼく と おれ

(注意 今回は小説ではなく自己分析です)

 私の一人称は場合によってまちまちです。文章を書くときはいつも私を使っていますが、思考する時や会話するときは僕と俺が使い分けられています。今回はその辺のことについて自分のために文章化してみようと思います。ちなみに私というのは自分自身全てを指す時に使っています。ややこしいので、適当に読んでね。

 私が生まれたときに私の中に存在していた人格が「僕」です。便宜上Aさんと呼称していたりします。僕は自由で、気ままで、電車が好きで、音楽が好きな普通の男の子だったのです。ところが、幼小中時代の外からの干渉(まぁ、いじめとか親とか)によって僕は歪んでしまいました。元々自閉症持ちだった僕は、それが原因で数多くのトラウマを抱えて今に至っています。自閉症というのは概ね生まれつき人とのコミュニケーションに難があります。他の知的や身体の障害に比べてぱっと見ではわかりづらいものではありますが1〜2%はいるらしいです。そして悲しいかな、治療法はありません。他の人とどこか感じ方が違うというのも昔からなんとなくわかっていました。小学校の頃は周りの生徒も大人も皆嫌いでした。それがおかしいとわかっていても、当時どうすることもできなかったのです。小学校卒業までは僕だけで通っていました。

 しかし中学に入学すると状況が変わりました。周りの人に救われる事もあり、この優しい人達から離れたくないという気持ちが芽生えました。しかしあるとき僕が特性からくる失敗をしてしまったことによって人が離れてしまいました。僕はとても寂しくなって、「僕が僕だからいけないんだ」という思考になっていきました。そうして誕生することになったのが「俺」です。
 こちらは便宜上Bさんと呼称したりしています。Aとは対になる存在で、あらゆる場面で僕の逆をいきます。Aが欲望とかに忠実なタイプなのでBは理性的ってことになってます。Bはいつも僕の存在を否定し、貶し、時に罵倒します。一応私のデフォルトはAなので、Bはその全てを否定していきます。Aが生きたいと言ったらBは死ねと言います。それが日常です。「俺は僕のことが嫌い」これが根底にあるので厄介です。僕は俺について自分からできてしまったものだから何も出来ずにいます。俺は正論を僕に並べ立ててひたすらに潰していきます。

 僕はいつも誰かに褒めてもらいたいと思っています。だからBはいつもAを叱ります。いつまでも満たされることのない欲求だけが無限に溜まっていく体になってしまいました。本当はとても寂しいのに、それを表明することすらBは認めません。人に甘える事もそうです。そんな事をしたらまたあの時みたいに誰もいなくなってしまう。Bはとても臆病なのです。とても怖いのです、本当の僕を曝け出してしまうことが。

 ところで、自閉の最も恐ろしいことは併発だと個人的に思っています。どういう事かと言いますと、自閉持ちは50%の確率でうつを発症しますしトラウマ経験も増えるためPTSDになる確率も増加します。察しの良い方お分かりかもしれませんが私これ3つともあるんですよ。それぞれがそれぞれに悪い影響をもたらして、3つ同時に悪化していきます。

 私の中には僕と俺がいますが、どうして客観視できてるのかというと、ご存知解離のせいですね。意識はまた別のところに逃げていってしまっています。

 おれの存在は学校での自分という化けの皮の存在を確立してくれました。Bからできているので本当の僕とは割とかけ離れていますが、快適です。僕が学校生活に向いて無さ過ぎたっていうのもあるけどね。誰かが云うように学校での僕に感情は基本なく、ポリシーのみに従って動くような皆んなに優しいおれ(ただし口での1人称は昔の名残で僕)で接しているのでした。

今回はこの辺でやめておこうと思います。

病んでるのか、わかんないけど。取り敢えず絶望したので文章を書きたかった。
こんな化け物が出来上がってしまっているのです
これを見て別に何かを思って欲しいわけでも行動して欲しいわけでもないです。
俺は自閉症を認めたくないので病気のせいにされるのも嫌いだったりします。
誰も見ていないようなこんな場でさえ、僕はまた、助けを呼べないんです。

明日は月曜日です、さぁてどうしましょうか。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
それでは、左様なら。

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