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『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』を見てのメモnote版 Q

『シン・エヴァンゲリオン』シリーズ、いや、エヴァ全部の中で多分『Q』が一番好きな久保内ですけど。例によって一筆書きです。しかもネタバレという言葉があまりよく理解できていないかわいそうな人なので、どこがどうまずいのかもわからないので各自判断してください。

『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』をなんとなく自分の世代の責務的な気持ちで公開初日に見に行って、まんまとトイレがやばい状態になりながら鑑賞してきました。全体としては、とにかく構図・構図・構図。外見・外見・外見! やっぱり特異といっていいだろう作品のできかたに泡を吹きました。エモいことが良い演出とされやすい昨今、細部にこそ神が宿るとでも言いたげな態度!

物語構成もガチガチに「行って帰る物語」にはめ込み続けて、あらゆるものを母と父に腑分けし、シンジの精神ステージが変わるごとに誰かが生贄に捧げられると儀式・儀式・儀式の連打。見ているときになんとなく渋谷系という90年代の音楽群に思いを馳せ、「ああ、エヴァもサブカルとしても受容されていたな……」と感慨にふけりました。

わかりやすい「お話」レベルでのサービスもシン・エヴァンゲリオンシリーズらしく過剰で笑えました。特にお気に入りは田植えおよび農村生活のアヤナミ・シンジのわくわく農村就労チャレンジ。25年?ほど? 作品に付き合ってきたおっさんに対して、「都市部に住む独身のアダルトチルドレン的(なつかしい言葉!)おっさん」と決め打ちした心憎いサービスをしてくれてまんまソレに当てはまる自分は大満足でした。最高だよね、農村シーン。

……なんてことを、10歳くらい下のおっさん初心者に話したところ

「えっ、農村でメンタル回復とか最悪じゃないですか!そんなのエヴァで見たくない! そんなのはのんのんびよりだけにしろ! のんのんびより最高ですよね」って言われたんです。ちょっとびっくりした。もちろん、のんのんびよりは最高だ。

あの農村シーンは、嫌がらせと認識されていないのか…。慌ててnoteの感想とかつまみ食いしたら、割とその意見がメジャーなのを知った。大体はプラグスーツで田植えするアヤナミ(仮称)かわいいだった。

俺が考えるに、あの農村シーンは、シンジを自分として生きづらさを仮託して感情移入していたおっさんに対してのジャブ代わりの「よ!ご同輩!」的おもてなし嫌がらせだと思うんですけど。俺がQのこと大好きなのもその嫌がらせがあるからこそ。

ちょっとQに戻るよ、話。Qでは14年ぶりだかに社会復帰したシンジに対して、周りの14年間戦い続けてきたミサトを筆頭に、いろいろシンジに押し付けてきたにもかかわらず冷たく当たる。お前が頑張ったのはわかるけど、ちょっと手を離せないから黙っといてくれる? とか、まだ子供のままなのか、とかとか。これも、話の展開が唐突で意味不明!って意見は結構あると思うんですけど、エヴァ制作陣の設定したペルソナバッチリの俺には、「就職氷河期で痛い目見て、14年家に引きこもって、そろそろどうにもならなくなったおっさんとしてのシンジ」として、そしてシンジに降りかかる冷酷な言葉の数々は、「社会的に仕方がない部分があるし、そこは同情するよ。で、職歴は? 社会のせいにしてるけど、自助努力した?」と、同情されながらも「ソレがないから今まさに困っとるんやろが!」というアレの引き写しだと思うんですよ。そういう痛い痛いあるあるトークでペルソナの気持ちをキャッチしようとしたと思うんですよね。…あんま通じなかったみたいだけど。あんなに自分はシンジだって主張してませんでしたか…あなた…(虚空に向かって)。そういうところも含めてQが大好き。

で、今回のワクワク農村就労チャレンジですよ。「そろそろ田舎に帰って親の手伝いしたら?」「なんで結婚しないの?」「あんたの同級生はもう子供もいて立派に働いてるよ」「やっぱりコンビニ弁当なんかより自然の食べ物が一番だよね」「見て? 俺も色々大変だったけどなんとかなったわ。あ、これ嫁の描いた絵本」「不動産投資しておくと、生活が楽になって好きなことできるよね(これは映画では言ってない)」

……最高の接待じゃない?

 こんなん言われたら、ほうほうの体で田舎から逃げ出して、twitterに悪口書きまくれて、酒が進むよね。そういう種類の接待。え?こんなの地獄じゃない?って? ……そう、今回の農村シーンは割と「あの世」として描かれていると思う。

シンジは、農村でメンタル回復して元気よく戦いに出たんじゃない。「地獄のあの世」で出される飯に手を付けず、カロリーメイトめいたレーションだけ口にしたから生き残れた。あの世の食べ物に手を出したアヤナミ(仮称)ちゃんは……。ありがとうさよならと同じく黄泉の食べ物を食べる食べないも立派な儀式(まじない)だ。宮崎駿ちょうやるよね。ちなみに宮崎駿で一番好きなのは「ポニョ」です。

で、表面を追うお話はこの辺にして、この「儀式」が、今回のシン・エヴァンゲリオン終止符さんの全体のトーンを決定づけてる。このことこそが自分には重要で、正直、お話の最後がどうなったかなんてどうでもいい。

お話の結末のいかんによっては「庵野が裏切った!」「庵野はわかってくれた!」という心の持って行き方がこまる! って人はソレも超楽しい映画の楽しみ方だと思うんで、無料で公開されている冒頭10分ちょいのYoutubeを見ればいいと思う。それで全部や! 高畑勲の映画が冒頭五分で全部説明してしまうあれや!

で、全体のトーンとかの感想と、「ダメ人間庵野の更生物語(鑑賞者もふくむよ!)」という、共犯的なファンタジーについてと、何もかも出揃ってしまったあとで映画監督として表現をすることだとかなんやかやの話を書こうと思ったけど、ここまでで一時間かかった。

見直し無しで駆け抜けたけどおじさん最近すぐ目がしょぼしょぼする。画面チカチカする。あと、朝から体が寝ている状態で2時間半映画見るとおしっこ漏れそうになる、から要望があれば近いうちにまた殴り書こうかなとか思った。今日はここまで。便宜的にこのメモを「Q」と銘打とう(最悪)





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