とある店の記憶 1

学校を卒業して銀座のレストランに勤めた。初出社の日の帰り道、和光の時計が鳴っていたのを覚えている。これから毎日この鐘を聞くのだと思うと感慨深かった。実際、10時の鐘の音と共に出勤し、0時の鐘の音を聞いて終電ダッシュをする日々だった。
14時間拘束で実働8時間勤務。勤務時間以外の内訳は昼と夕のまかないで1時間、中休み休憩で2時間の昼寝。就業前後のおしゃべりや支度に2時間。計算が合わないが…とにかく銀座にいる時間は長かった。早く来ていれば、全く使えない新人だった私もなんとなく許され、時間外を見計らって外に連れ出してもらったり、一人でふらりと出掛けることもあった。

あれは何が理由だったのか忘れてしまったが、上司に叱られてしょぼくれていたら、同僚のおねえさんが銀座千疋屋に連れ出してくれた。晴海通りに面した売店横の階段を2階に上がると、果実の甘い匂いがした。店内は平日の午後を楽しむマダムでいっぱいだったと思う。広くはないが、お客さんもボーイさんもすべてがキチンとして整然としていた。しばらくして案内され、壁際の小さな白いテーブルに向かい合って座り、フルーツパフェをご馳走してもらった。仕事の愚痴や上司の悪口ではなく、甘いクリームと果物の話をしたと思う。明るく整えられた店内がなんとなくそういう雰囲気だったのだ。甘く優しい幸せな世界。帰り際「まぁ、頑張りなさい」というような事を言われたような、言われないような…でも、確かに静かな励ましを受け取った。
おねえさんは出会った頃には還暦をとうに過ぎていて、私と歳の近いお孫さんがいたから、同僚というより出来の悪い子という扱いだったかもしれない。
このおねえさんは不思議な人でなかなか強引な客あしらいをするのだが、それでクレームが来たことは一度もない。むしろファンが多かった。それは当時増えて来ていた外国人客にも共通で、和製英語で伝わっていたのかいないのか。しかし、皆食事をし笑顔で帰っていった。人を喜ばすという事は技術だけではないと強く感じた。

おねえさんの話は色々あるが、まとまらなくなってきたので
今日のところはおしまい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?