とある店の記憶 5

祖母は昭和一桁生まれにしては外食の好きな人だった。女学生がそのまま大人になったような…歌が好きで、ハイカラで冗談が好きな、孫から見ても可愛らしい人だったと思う。

東京生まれの祖母は戦争末期に親戚を頼って函館に疎開した。慣れない土地で苦労しただろうと聞いても、敵性語の英語の授業がなくなって嬉しかったとか、疎開してからの洋裁学校が山の向こうで遠かったとか、そんな話ばかりしていた。

昭和の終わり頃に生まれた孫達は、誕生日だクリスマスだと理由をつけてはデパートに連れられた。誕生日が近づくと祖父から電話がかかってくるのだ。
「誕生日プレゼントを買うからデパートへ行こう」と。
ねだりもせずに、欲しい物が手に入るなんて、なんて贅沢だったんだろうと今となっては思う。愛する人に何かをしてあげたい。物質的に不足がないようにしたい。そういう気持ちが分かる、受け取れるのは、祖父母の無条件の愛を浴びたからだと思う。
この習慣は中学生くらいまで続いて、最後の方は時間を作るのが正直面倒くさい気持ちもあったりした。ごめんなさい。

それでデパートで買い物が済むと、お好み食堂でランチを取るのがお決まりのコースだった。私はエビマカロニグラタン、祖父は松花堂御膳、祖母が何を食べていたのか思い出せない…一つだけはっきり覚えている事がある。

「クリームソーダはいいのかい?」

祖母は決まってクリームソーダを勧めた。グラタンにクリームソーダは合わない気もしたが、断って祖母ががっかりするのも見たくなかった。何より、祖母は炭酸飲料が好きだったから、子供たちがクリームソーダを頼むと「じゃあ…私も」とコーラやソーダ水を飲んでいた。
あの鮮やかな緑色と真っ赤なチェリー…喫茶店のショーウインドウやレストランのメニューで見る度に、祖母が好きだったなと、これからも時折思って過ごすだろう。

食事が終わると屋上遊園で薄汚れたパンダの乗り物に乗り、トランポリンで跳ねた。よく晴れた、暑くも寒くもない幸せな記憶。

買ってもらったジェニーちゃん人形やけろっぴのシールやノートはなくなってしまったけど、記憶はずっと守っていくよ。

どうもありがとう。

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