映画になることだけをしたい
現在、僕ファーストをやりながら、一年前と同じサイトの規模の減少をしている。
一年前と違う事は、僕の受け止め方かも知れないけど、備忘録に読者がいる事だ。
僕の投稿を待っている気がするのだ。
これはとても大事な事で、備忘録をやめない方がいいかも知れない。
書く事がなくても粘りを見せようと思っている。
備忘録を有料記事として紹介しているが、コラムニストの本を読もうと思っている。
それがお金になる為の近道だと思うからだ。
後、色々な方が書く文章を見てきて、エッセイストというのは他人の世界で勝負する人達と思うのだ。
例えば、コラムというのは自分の意見や考え方を書くといっても、コンサルティングの様に、他人の現状を改善する事によって、お金をもらっているからだ。
noteでは、まるでコーチングしている様である。
だから、今月の有料記事ではコラムの本を読む事で、新しい提案ができないかと探っている。
同じ事をしても面白くない。
これは、マネタイズの話である。
もう一本の柱に、創作大賞がある。
創作大賞を受賞する為には、売れる小説を書くしかない。
昨年の創作大賞受賞者は、note編集者と一年をかけて、みっちり丁寧に売れる本を編集した。
僕も経験してみたくて、羨ましいなと思う。
でも受賞者には売れる本を書く才能があったのだと思う。
売れる小説を書く為には、己の世界で勝負するしかない。
とても難しい事だ。
だけど、僕が辿り着きたい場所はここではない気がした。
僕は3年半、映画をとってきた。
映画をとるとは、コメントであり、他人との対話である、他人との関係性を作る事で成り立つ。
僕は映画をとれる人になりたかった。
僕は沢山の事はできない。
だから映画になることだけをしたい。
これだけをしたいのだ。
創作大賞を受賞する為には、売れる小説を書くしかない。
それはお金になる為である。
それなのに僕は映画をとっている。
だからバカじゃないかと思う。
映画をとっていては、創作大賞で入賞する事は難しい。
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