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memo(3)

 昨日自分が今まですきを押した他人の記事を振り返った。今見てもいいと思う。最近いい記事に出会えていなかったのでもう一度良いものを確認した。僕はあまりすきを押さない、新しい出会いを求めてクリエイターを探すのが苦手だ。どうしても受け身になってしまう。でも自分のスタイルなんだと思う。

 父と母が台所に立つと僕から見ると些細なことで言い合いを始める。内容を思い出さないので本当にどうでもいいことだと思う。僕がいつも言い合いはやめときと言って話は終わる。父は基本、母の言うことをあまり聞いていない。翌日には何も覚えていない。母はそんな父に腹を立てる。女性だから構って欲しいのだ。僕は母に72歳になるのだからもっと楽に生きたら?もうどうってことないでしょと言うと私は物事を中途半端にすることが嫌なの、はっきりさせないとと言う。僕も父もやれやれと思う。

 父が農作業から戻ると畑が大変な事になっている。草がわしの背丈ぐらいある。お前1人になったらどうするか?と聞くので冬になったら枯れるんじゃないのと答えると、馬鹿言え除草剤を撒いてもどこまで効くかわからない。他の家のもんが松下の家の畑はわやじゃのというのが目に浮かぶと話す。

 母は父が年金を管理して生活費をくれないのに腹が立ち僕に食費への不満を自分が納得するまで話し続けるだろう。自分の年金だけだと生活ができない、父の年金は2人のものだから私にも貰う権利があると言う。

 7月、Mさんのデイケアを一旦お休みした。Mさんとのお付き合いも楽になり時々声かけしてもらっている。Mさんは近づき過ぎると距離をおこうとする、離れると声をかけてくれる。程よい距離感で対応してくれる、先日も音楽の話をしたり小説の話をした。Mさんは何か言いたげだったけど僕は楽しかった。久しぶりに火曜日に参加したいなと思った。今週、Mさんに言って見よう!

 昨日ある他人の記事を読んでいたら自分の姿が好きになれないというのだ。かっこいい大人になれなくて悩んでしまう。僕は今まで他人をかっこいいと思っても、自分が他人に憧れる存在になれるとは思ったこともない。昨年、映画をとって特別な感情を持って他人と対話したいなと注意する様になった。それは自分がなりたい姿になる為だ。自分のことは好きか嫌いかではくくれない、かっこいい大人になれない事は分かっていて、それは僕が不器用なくらい自分より他人を見ているからだと思う。

 幻聴が僕の側にいる事は価値があったり、意味付けしたり、運命と思ったり、特別なことではない。地球が僕が産まれた時に存在しているのと同じで、ただ幻聴があるのである。妹にどうして僕の妹なのと聞くのと同じだ。

 神様ってとても嬉しい存在。自分が苦しい時、人生が嫌な時いつも頭上にいて話を聞いてくれる存在、なんかご先祖さまより話しやすい。とても楽になれる。オードリーが頭上の星が助けてくれてウインクしてくれると話していたけど神様も僕を理解してくれてそのままでいいよと言ってくれる。自分と対話してくれて嬉しい。

 noteでフォローする人は憧れていて話がしてみたい人だと思う。自分と似ていて真面目な人、応援して元気が出る人、感情を共有したい人、センスがある人、起業家の人、幸せをくれる人、夢を叶えて欲しい人など。フォロワーになってすきを押してくれる人にとても感謝している。この人の為に今も記事を書いている。でもすきを押してくれるけどフォロワーになってくれる人はなかなかいない。僕もすきは押すけどフォローをしようとしない、どうしてもその人と対話したいと思うまで慎重に選択する。

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