世界にただ一緒にいる彼(5)
立花がまさみに乗せてやるよと言った。銭湯まで歩くと15分かかるのだが、そんな事はどうでも良かった。立花の乗っている自転車は良くディスカウントストアで売られているママチャリで立花の身長に比べて少し小さかった。後ろの荷台もまさみが座るとお尻が少し痛かったのである。立花は近所の工務店で働く大工で、富士見ハイツと仕事場の移動や近所での買い物やギャンブルで遊ぶには自転車を活用した方が機動力があった。立花は銭湯にはサウナが設置されていたので、ハイツの小さい風呂よりも開放感があったし、快適だったので良く利用していた。立花がコンビニのイートインコーナーで冷やし中華と唐揚げくんを購入して、空腹感を癒していた。まさみは立花に気づくとカフェラテと雑誌を手に、マンションの耐震工事があるから、お風呂に入れないんだよねと伝えた。立花はそうだねと言いながら日経新聞の株価の欄を見ていた。まさみはこれから銭湯に行こうと思っている事を伝えると、立花は明日の現場が変更する事を今日仕事を休んだ同僚にメールしていた。まさみはコーヒーの苦味が苦手で砂糖とシロップを入れても飲む事ができないので、いつもココアかカフェオレだった。立花は麺類が好きで、ラーメンやパスタ、ソーメンと夏の暑さにやられた胃腸には冷たいスープを流し込むのが丁度良かったのである。
まさみは立花の上着の袖を自分の方に引っ張ると、両足を揃えて右肩を立花の背中に預けた。立花は鼻歌を歌いながら、一定のリズムをとってペダルを漕いだ。そのスピードは早くもなく遅くもなかった。まさみはおでこを立花の熱くなった背中に押し当てると、ずっとこの時間が続いてくれないかと思った。まさみにとっては意外な事だった。確かに立花をずっと気にする自分がいて、それがいつもの自分とは違っていておかしいなと思っていた。でも彼の事を好きでいる自分が居るとは思わなかったのである。夏の生暖かい風が頬に当たると、急に心細くなった。私のしている事がまるで中2の学生みたいで後悔していたからだ、自転車の後部座席から飛び降りたくなるぐらい恥ずかしかった、どう考えてもこの恋が上手く行くはずもなくてそれがいつもの小生意気な自分と違って、立花には何でも素直に話せる自分がいるのであった。近所の河川敷で開かれている夏祭りで使用された花火の火薬の匂いが鼻をついてくしゃみをしそうになったが、立花の服を汚してはまずいと思い我慢した。夜空を見上げると大きな月がかかっていて、東京というのに満点の星空が見えて美しかった。立花が載せてくれた自転車は僅か5分で銭湯についたが、まさみには永遠の恋する時間に感じられたのだ。
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