マガジンのカバー画像

[SS]アジア人外交官の憂鬱

75
清朝の終わり、東アジアが近代化を迎えると、私は北京に外交官として赴任した。北京で欧米諸国の中国への植民地化を目の当たりにして、私は日本の国家成立に向けて、明治維新への歩みを見届け…
運営しているクリエイター

#私と妻の子供

私と妻の間に授かった子供は、日本に帰国して間もなくして生まれ、日本で数年過ごした後に北京に戻った時には4歳になる。父も母も溺愛してくれたので、別れる時は不憫で仕方なかった。妻も同じ想いだったはずだ、しかし子供の成長には驚かされるばかりで、戻って数ヶ月後には中国語を使い熟している。