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[SS]アジア人外交官の憂鬱

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清朝の終わり、東アジアが近代化を迎えると、私は北京に外交官として赴任した。北京で欧米諸国の中国への植民地化を目の当たりにして、私は日本の国家成立に向けて、明治維新への歩みを見届け… もっと読む
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#アメリカ船の来航

1845年3月、浦賀にアメリカの捕鯨船が日本人漂流者を乗せて入港、幕府は打ち払い令を撤廃していたので、特例として認め、この時に父は通訳を担当した。オランダ語が通じない船員に対して片言の英語で役を果たした。初めてのアメリカ船の来航ではあったが、浦賀奉行は米や芋、鶏等を贈っています。