マガジンのカバー画像

[SS]光の天使、僕の居場所

45
僕は自宅に一人でいると私の表情を思い出す、僕の居場所である。家に居て仕事もせず結婚もしない、何かに取り組んでいる様子もない。少し普通の人と違う気がした、生活支援が必要な人だ。僕も…
運営しているクリエイター

2024年6月の記事一覧

私の生活は様変わりしました、毎日同じルーティンを過ごす日々も、平日の午前中は集いの家で暮らす事が多くなり、仲間と楽しみながら一日を終える事が出来ました。僕という相談する相手も居て、市からの支援を受け入れる事が出来そうです。ある日、僕が私に社会に出て働きたい気持ちはあるのと尋ねた。

私達の仲間は病院を受診している人も居ましたが、軽度のもので障がい者として認定されている訳ではありません。私も生活支援が必要な人ではありましたけど、役所の人も取り扱いが難しい状況でした。僕は母の事もありましたし、子供の頃から身近に居る人を支援したいという気持ちが芽生えていきました。

私は昼ご飯を食べ終わると施設を後にする、生活をしていました。15時迄過ごす人もいて、自由に集いの家を利用できるのが気に入っています。私の抱えていた課題も、支えてくれる人がいて、僕も急ぐ必要はない取り組みであると理解していて、僕は私達が社会で働きたいと思っているなら叶えてあげたい。

私達は集いの家を利用し易くするのに、毎日のプログラムを作りました。施設を維持していく為の使用料を頂きますが、市の福祉施策により利用者の自立を支援しています。昼ご飯をみんなで作るのも楽しい作業の一つです。10時に集合すると個人個人で思うがままに生活します、ボランティアの方もいます。

僕も私にこの仕事で皆さんのお世話をさせて貰うようになる迄は、居場所もなくずっと一人だったんだよと話しました。母子家庭で育ち、色んな場所に引っ越す様な生活を送っていたので、小さい頃から集団への帰属意識が強かったよ。だから私が仲間と毎日を楽しめる様に活動を支えていける様にしたいんだ。

僕と私はいつも一緒にいました、無表情な私も明るくなったと姉は言い、僕もいつも笑顔で私と触れ合いました。難しい悩みを抱いていた私も、仲間と居れる事で落ち着きを取り戻していきました、僕も集いの家で取り組んでいる事をお姉さんと話せる機会を頂いたりして、私と僕の交流も深まっていきました。

僕は私に一人で問題を抱えさせて、それを解決できない事、苦しませて申し訳なかったね。その課題は僕にとっては希望になっているんだ、だから私は僕の居場所でもあるんだよと説明した。私は長い間抱いていた目的を話す事が出来て安心していた、僕にとって素直に内情を話してくれる、光の天使に見えた。

私は部落で孤立化する年寄りが増えていて、不幸な最後を招いている。部落の人も問題に気づきながらも、見て見ぬ振りをしている所がある。私は命を守る、ガイドラインを地域住民で話し合うべきだと思っていると、僕に言う。僕も二人だけで進めるには大きな事なので、時間をかけて対応すべきだと話した。

集いの家のプログラムに希望会という、私達の課題を話し合う取り組みがあった。皆んな家族の心配事や将来の不安を話し合ったのだけれど、私も姉夫婦が亡くなり、自宅に引き篭もる様になったら、誰に声を掛けていいか分からないと説明した。僕の事を頼ってくれたらいい、何処にも逃げる様な事はしない。

僕が音頭を取って、食べる物がない人がいるので、自宅に余裕のある物があったら、集いの家に持ってきて欲しいと話した。私も叔父と一緒に野菜を育てていたので、ミニトマトやきゅうりや茄子を持参した。仲間とワイワイ話しながらの調理は楽しい物であった。他に人生ゲームやトランプをして遊びました。

私も彼の家に時々、遊びに行く様になりました。役所の人からの勧めもあったからです、姉も特に反対しませんでした。僕が親身になって、話を聞いてくれる様になるのはまだ先の話ですけど、取り敢えず社会におり辛い人が集まるグループを見つけて、私の日常の想いを伝え、仲間と一緒に活動が出来ました。

僕はまず、部落の悩み事が聞ける様な間柄になる様に努めました。住民の生活を支援できる様になれば、僕を信頼してくれる筈です。役所の話では何度も同じ様な事件が起こっていると聞きました、課題の根源は根深いものだと感じています。住民の数十年間に及ぶ習慣を見直すのは、難しい事だと思いますね。