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ゼーバルトの《ティーズ・メイド》

小説に出てくる気になるモノを集めてみよう、と思いついたのは、ゼーバルトの『アウステルリッツ』の新装版が出たの知り、同じゼーバルトの『移民たち』の「マックス・アウラッハ」に出てくる、《ティーズ・メイド》なる珍奇な道具のことを思い出したのがきっかけだった。

ゼーバルトの『移民たち』は、故郷を離れた4人の人物の物語。ゼーバルトの他の散文作品と同様、本文中にはモノクロの写真がふんだんに使われている。それぞれの写真に特にクレジットはない。ゼーバルト自身が撮ったもの、ゼーバルト自身が持っていたもののほか、いわゆるアーカイブ写真もあるようだ。建物、人物のほか、手帳とか、いわゆる物撮り写真も多い。

ゼーバルトの散文作品は、どこまでがノンフィクションでどこからがフィクションなのかがわからない。小説と呼べるのかもよくわからないのが特徴で、そこにクレジットのない写真が添えられていることで、さらにその境界が曖昧にされている。その不思議な世界がゼーバルトの作品の魅力でもある。

『移民たち』の4篇目「マックス・アウラッハ」の冒頭、ゼーバルト自身を思わせる語り手「私」が登場、1966年に単身英国マンチェスターに渡ったときのエピソードを語る。タクシーの運転手が紹介してくれた郊外の安ホテルにしばらく逗留することになるのだが、そこの女主人が使ってくれといって持ってきてくれるのが《ティーズ・メイド》なる電気製品だ。

夫人は特別な歓迎のしるしとおぼしい、私の見たこともないなにかの電気製品を銀の盆に載せてささげ持っていた。夫人の説明するところでは、それは《ティーズ・メイド》という、目覚し時計にしてティーメーカーなのだという。象牙色の金属の台に載ったぴかぴかのステンレススチールのその装置は、お茶が沸いて蒸気が立ち昇ると、あたかもミニチュアの発電所のようだった。やがて夕闇がしのびよってくると、目覚まし時計の針が蛍光を発しはじめ、それが私の子ども時分から慣れ親しんできたおだやかな黄緑色で、夜中にこの光を見ると、いわれもなく護られているような心地になった。

このすばらしい文章の上に、写真が掲載されている。アナログのクラシックな時計の後ろに、ぴかぴかの金属製のポットがふたつ。片方に水を入れて、茶葉を仕込んでおくと、目覚ましが鳴るのと同時にお茶がもうできている、という仕組みらしい。


ベッドサイドのスタンドと目覚まし時計と、さらにティーメーカーを一緒にするなんて!そもそも、豆を挽いたりお湯を少しずつ注いだりしなければならないコーヒーと違い、紅茶を機械で淹れるメリットがよくわからない(学生時代にドイツの友人宅で初めてTeemaschieneというのをみてびっくりした)。

そこまでして目覚めの一杯をすぐに飲みたいものだろうか?はっきりいって自分の生活にはまったく不要だが、なんかこの無駄な感じ、英国人の紅茶中毒ぶりを端的に象徴するような道具であることに、非常に魅力を感じる。

さらに、写真に写っている《ティーズ・メイド》は、見た目もとっても素敵だ。日本のビジネスホテルに湯沸かし保温ポットがあるように、イギリスでホテルに泊まったらベッドサイドにこんなのが置いてあるのかな?と思った(その後2回ほど英国に旅したがこの装置には出会えず)。

最初にこの本を読んだとき、ebayなどで買えないかと思ってすぐにネットで調べたのだが、2005年当時の検索エンジンが今ほど優秀ではなかったからか、あるいは私の検索スキルが低かったからか、まったくそれらしいものはヒットしなかった。

この機会に改めてGoogle先生に尋ねてみたら、ちゃんとヒットした!《ティーズ・メイド》の正しい綴りははTeasmaidであった。Wikipediaもある。

Teasmaid.comというサイトもあり、なんと今でも現行モデルが販売されている!

QueenのMVにも登場してるー!

Mr. Beanにも出てきてる。使用方法が非常にユニーク(笑)

英国人にとってとっても身近な道具だったことがしのばれる。ついでにGoogle画像検索をすると、実にいろんなタイプのものが出てくる。現行モデルはポットでなくマグカップにできあがったお茶が入るようになっていて、さらに時短仕様か。

しかしながら、どれもゼーバルトの本に出てきたモデルほどに素敵なデザインではない。さらにネットをさまよっていたら、こちらのブログがみつかった。

この記事には、ゼーバルトの本に出てきたのと同じものの写真が出ている。書いた人のお友だちのものだそう。アール・デコの時代のものだというから、稀少なコレクターズアイテムなのだろう。

さて、1966年のマンチェスターの安宿に、アール・デコの素敵なTeasmaidがあるというのは、果たして現実的なことなのか?ドイツの田舎からやってきた青年に好感を抱いた女主人が、大事にしてあったものを特別に貸してくれたのかも?先に引用した文章は次のように続く。

そのせいなのだろうか、マンチェスターに着いた当初をふり返ってみると、アーラム夫人が、いやグレイシィが-グレイシィと呼んでちょうだいよ、と彼女は言っていた-私の部屋に持ってきてくれたティーメーカー、便利でおかしなあの装置こそが、夜闇に光り、朝はひくくコポコポと音を立て、そして昼はただそこにある、それだけで私を生きのびさせてくれたような気がする。

どうやら、1966年に初めて英国に渡り、マンチェスターのホテルに6ヶ月暮らしたというのは、ゼーバルト自身のそのときの行動とは一致しないらしい。本文中にArosaというホテルの名前が出てきたのでこれもまたググってみたら、"Saturn's Moons: A W.G Sebald Handbook"なるマニアックな本の本文がヒットし、ホテルの外観写真とともに、「「マックス・アウラッハ」の語り手はこのホテルに6ヶ月住んだことになっているが、ゼーバルト自身はここに住んだことはない」との記述があった。

なんでも見つけてくれるGoogle先生に感謝。こんなにマニアックな本が出ていることにも驚くが。しかしながらここにはTeasmaidに関する記述はないので、ゼーバルトがどこでこの素敵な装置に出会ったのかは不明のままである。この写真はきっとゼーバルト自身が撮ったものだろうという気がするのだが。

前にも書いたが、ゼーバルトの文章には物撮り写真もちょこちょこ出てくる。今でこそ誰もがスマートフォンで物撮りしてテキストと一緒にブログに載せるけれど、ゼーバルトの時代の文芸においてはかなり変わったアプローチだったと思う。

ゼーバルトはどんなカメラを使っていたのか、知りたくなってしまった。マールバッハにある有名な文書館にゼーバルトの遺品が寄贈されており、なかにはカメラもあるという。そこでまたGoogle先生にお尋ねしてみたところ、2015年の展覧会でゼーバルトの遺品のカメラが展示されたらしく、その紹介記事がみつかり、ゼーバルトの使っていたカメラの画像もあった。

えええ!キヤノンのデジカメ? いや、型番を調べたらAPSのコンパクトなカメラだった。2001年に亡くなった当時に使っていたものだろう。画像についてるキャプションによれば、ゼーバルトはメモ代わりにカメラを使っていたとのこと。

1960年代、マンチェスター時代もカメラをそういうふうに使っていたのか?だとしたら、そのころは35mmのフィルムカメラを使っていたはず。一眼レフかな?

そして、ゼーバルトがあの素敵なTeasmaidに出会ったのはいつ、どこなのか?自分で写真に撮ったのか?作品に登場させたのは、やっぱりあのデザインに魅せられたからなのか…と、疑問はつきない。あのTeasmaidで淹れたお茶も飲んでみたい!

なお、私の持っている本はどれもたいして価値のないものばかりだが、そのなかでおそらく唯一自慢できるのは、ゼーバルトの最初の著作、詩集Nach der Naturの初版本である。この本にはThomas Beckerという人の撮影した自然の風景の美しいモノクロ写真が数点入っている。どれも見開きで、テキストと併載はされていない。この詩集はその後、他の出版社から再版されたが写真は載っていないため、どうしてもこの初版本が欲しくて、かなり前に古書サイトで購入した。糸綴じ、活版印刷のとてもしっかりしたきれいな本で、ちょっとだけ自慢(笑)


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