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中国ビジネス、中国学、中国語などに飛び込もうとする人たちに読んでもらいたい書籍④

現代中国が形成される1つの要素となった「六四」

6月4日である。
この日はどうしても「現代中国」というものに思いを巡らさざるを得ない日である。

この日の出来事に対して、数多くの書籍が出されているが、
今回は現在における中国ルポライターのこの方の本を紹介。

書名:八九六四完全版 「天安門事件」から香港デモへ
著者:安田峰俊
出版:角川新書

書影

いわゆる天安門事件(第二次天安門事件、六四事件)は、中国では「89年6月的政治風波」といった、やや婉曲な表現をされているが、記録から抹消されているわけではない。

本書はその事件の“当事者”たちに話を聞き、まとめられた書籍。
その時の人たちが、当時を振り返り色々な、複雑な思いを述べている。

個人的にはこの事件が現代中国の「政治」と「民衆」を切り離したものだと解釈している。

デモ自体は当時の学生たちが中心になり、当時の政治、つまり計画経済から市場経済へと転換をしている混乱期に、政治への不満・改革を訴え起こしたものとされている。
それが軍という国の最高武力組織の動員という形で鎮圧されたことは、ほかの民衆にとっては「国に逆らう、モノ申す事」の結末を見せられることになった。

その後の「南巡講話」に代表されるように鄧小平は保守派を押し込め、力強く市場経済を進めた。
自然、学生たちは国や社会を変えるためではなく、「自らが富む」ために学び、その力を使っていった。

結果、中国が経済的に発展したことは間違いない。
執政党である中国共産党が喧伝する、小康社会実現を行われていったわけである。

ただ同時に、若者のあるべき姿。
「権力に逆らう」という部分がすっぽりと抜け落ちてしまった。
日本で言えば「オザキ」的な部分や、もっと大きければ団塊の世代の「全共闘時代」のような、意味も解らず、でも権力の言いなりになりたくない、という気持ちがどこか失せてしまった。

権力に反抗しなくなった学生

とにかく「高考」に受かり、大手企業に就職し、不動産を買い、都市戸籍を手に入れ…。
そこにのみ意識が向き、いわゆる自由主義社会における「〇〇の自由」などというのはすっかり置き忘れられてしまったのである。

一部、日本のメディアでも紹介された「躺平」などもその延長線上にあると言っていいだろう。
本来、権力に逆らう(親や政府など)のが若者の特権であったにも関わらず、である。

それも致し方ない。
変に「自由」などを唱えてすべてを奪われるより、自らを富ませる、自らの富を守ることを優先するのは人として当然のことだから。

だから、大陸の人たちは香港における雨傘革命などはとても「理解ができない」ものだったろう。
「なぜ、何のために逆らうのか」理解できなかったのではなかろうか。

ただ、中国政府も監視の目を緩めてはいない。
「もし万が一、同様の事が起こったら…」という、一種の疑心暗鬼の中にいる彼らは、常に検閲や「海外勢力の介入・陰謀」の宣伝などといった手法を用い、政府自身だけではなく、国民同士を監視させている。
そんな印象を受けるのである(いわゆる「反スパイ法」などもそのうちなのかと思う)。

さらに稚拙な愛国主義を生む温床にもなっているのだと考えるが、それはまた別書の紹介の際に書きたいと思う。

今日は1日、35年前の事件と犠牲者、そしてそれが造り上げた「現代中国の今」の理解に努めようと思う。

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