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FIREした理由⑦そして、FIRE達成へ


コロナ禍でFIREの条件達成へ

2020年から拡大した新型コロナウイルスのパンデミックは、様々な変化や苦難をもたらしましたが、私の場合、FIRE実現に向けて非常に重要な時間となりました。
リモートワークで生じた余剰時間をFIREの準備に使えたことと、コロナ対策で実施された金融緩和の恩恵を受けることが出来たからです。

FIREのためには、「動機付け」、「支出の抑制」、「資産形成」の3点が特に重要だと思いますが、コロナ禍の中で、私はそれら全ての面を促進することが出来ました。

コロナ禍で改めてFIREを決意

まず「動機付け」ですが、コロナ禍で自分自身の働き方を振り返ることにより、より積極的にFIREしたいという思いが強まりました。
以前は、ストレスから解放されるために早期退職したいという「逃避願望」しかありませんでした。
しかし、会社でリストラが進行する中で、コロナ禍の不安定な状況が加わったことにより、「組織に依存せずに働くこと」、または「働かなくても経済的に自立出来ること」が、自己実現のための大きな強みになることを痛感しました。
そして、パンデミックが沈静化し、自分の仕事に一区切りがついた2023年に、晴れて会社を円満退職しFIREを実現することになりました。

コロナ禍での支出抑制

次に「支出の抑制」ですが、コロナ禍で人流がストップし、飲食や旅行、娯楽などの分野は大きな制約を受けましたが、私にとっては支出を抑制するという点ではプラスに働きました。
私は元々、旅行や食べ歩きが大好きだったのですが、外出自粛の期間は我慢し、趣味の料理を復活することにより、飲食費や交際費の支出が大幅に抑えられ、FIRE達成の一助となりました。

また、旅行に行けないことは大きなストレスでしたが、動画配信やネット視聴が趣味になり、「おうち時間」が増えたことによって、結果的に支出の抑制につながりました。
自炊や「おうち時間」の充実は、コロナ明けでも継続しており、以前よりも外食費、交友費、旅行への支出は大幅に減っています。

コロナショックを跳ね返す

そして最後に「資産形成」ですが、コロナショックにより一部の保有資産を損切りしたため、少なからず損失が発生しました。

コロナショックの際には、REIT(不動産投資信託)が大幅に下落しました。
私は以前からかなりの金額をREITに投資していたため、下落により大きな含み損を抱えました。
しかし、一部のホテル系のREITを除いて売却せず、むしろ安くなったREITを買い増ししました。
また、コロナでダメージを受ける航空や小売り株を売却するとともに、大型の優良株、特に当時暴落していた大手銀行株を買い増ししました。

コロナショックの際の株価の下落の原因は諸説ありますが、いわゆる「狼狽売り」の要素が強く、特にREITの極端な下落は、一部の銀行が年度末の決算対策や資金繰りのために投げ売りをしたためと言われています。
その後、政府日銀の大幅な金融緩和や、給付金・支援金のばら撒きなどの経済対策により、金融不安は発生せず、株価は回復し、むしろコロナ前よりも上昇して行きました。

また、そのころ私は、米国株と海外の投資信託を多く持っていたのですが、アメリカでは日本以上に金融緩和を実施したため、一時下落した株価はすぐに上昇に転じました。
その後も、徐々に円安ドル高が進行したおかげで、外貨建て資産に大幅な含み益が発生しました。

以上のように、コロナ禍は個人の生活面では厳しいものでしたが、FIRE達成に向けては大きな追い風となりました。

早期退職へ

私の会社では、50歳以上を対象に「早期退職優遇制度」があり、会社が認めた場合、退職金などの面で優遇措置を受けられます。
私がFIREを決意した時点で、私の年齢は50歳までに数年足りませんでした。

しかし、幸か不幸か会社ではリストラ施策を実施していて、私自身が所属していた子会社でも事業売却を進め、ほとんどの従業員を別会社に移籍させていました。
私は人事部門の人間だったので、従業員を別の会社に移籍させる業務を行っていたのですが、その際、グループ外の会社に転出する場合は、年齢に関わらず「退職優遇制度」を適用するように制度変更を行いました。
私は我田引水のような気がしましたが、その「退職優遇制度」を利用してFIREすることにしました。

当時、会社では従業員をどんどん減らしていたため、もし仮に私が会社に残りたいと希望したとしても、グループ内の会社に居続けるのは相当厳しかったと思います。
当時、私は子会社に在籍していたため、その子会社の業務に一区切りついた段階で、親会社の人事部門のトップに退職したいと申し出ました。
案の定、その上司は、私の行き場所探しに苦慮していたようで、退職の申し出に対して特段の慰留はありませんでした。
私の早期退職の希望と、従業員を減らしたいと考えている会社の思惑がWIN WINの関係だったので、あっさりと退職を認めてもらった感じです。

このように、有利な早期退職の条件を引き出すことに成功し、晴れて50歳を前にFIREを実現することになりました。

会社を去る

大学に入学したころから「プチうつ状態」に悩み、サラリーマンに向いていないのではないかと思いながら、それでも20年以上同じ会社に勤めてきました。
良い上司に恵まれたり、一人前の社会人として育ててくれたりと良い面もたくさんあったので、会社にはとても感謝しています。

しかし、退職する前の最後の3、4年は、経営の迷走により、大きな赤字を出したり、大規模なリストラを実施しなければならない状況に陥っていました。
いかに、経営判断が重要であるか、そして、一従業員というものは弱い立場にあるのかということを思い知らされた感があります。

そのような中、私は幸いにもFIREをする条件を備えており、会社の迷走がFIREを後押ししてくれたことになります。
そのことは、今振り返ってみれば結果的に良かったのですが、会社の迷走に翻弄される他の従業員を見ていると、会社に依存せず、経済的に自立することがいかに重要かということを痛感しました。
「いざとなったら会社は助けてくれない」という時代が来ているということです。

最後に

私が自分のFIREまでの軌跡を書いてみようと思ったのは、FIREという考え方を多くの人に知ってもらい、自己実現の一助になればと考えたからです。
FIREを実現するためには、かなり努力や辛抱しなければならない面がたくさんあります。
また、それまでのライフスタイルを大きく変えることも覚悟しなければならないでしょう。
しかし、FIREによって得られる、自由な時間や精神的なゆとりは、何物にも代えがたい価値があるものだと思います。

私は基本的に完全FIRE状態ですが、FIREには他にも「サイドFIRE」や「バリスタFIRE」など、働いてお金を稼ぎつつFIREの自由な側面も享受するという、ハイブリッド的な形態もあります。
どのようなFIREを目指すかは、人それぞれ事情が異なると思いますが、たくさんの情報に接して、自分自身が目指す理想のFIRE像を作り上げていただくのが良いと思います。

以上、アラフィフ、独身男、プチうつ状態の私が「FIREした理由」でした。
お読みいただきありがとうございました。

ネモフィラの花言葉。「清々しい心」、「どこでも成功」

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