見出し画像

「旅するたたき場」を考える。これはまだ道半ば

たたき場メンバーの山田です。私は普段演出助手を仕事としていますが、この度「旅するたたき場」というグループ、というかユニットの一員になりました。

まだ具体的な上演は行なっていないのですが、着々と準備を進めています。

その中で話題に上がったのは「旅するたたき場」ってなんだろう、ということ。
いや、なんだろう、ってやっている本人たちがわかっていない、というよりは、それぞれイメージはあるし、やりたいことも沢山あるし、絶対面白くなることはわかってるけど、第三者への説明が難しいね、という話になって。
たたき場のミッションステートメントってなんだろうみたいな。

じゃあそれぞれのミッションステートメント、というか、たたき場でやってみたいこと、試してみたいことを一旦書いてみようということになったので、今筆をとった次第です。

旅するたたき場のメンバーは5人。
演出家・俳優 星善之さん(ほしよしゆきさん)
打楽器奏者 中野志保さん(なかのしほさん)
演劇作家 神保治暉さん(じんぼはるきさん)
セノグラファー 山本史織さん(やまもとしおりさん)

そして演出助手を志している山田朋佳(やまだともか)が私です。

それぞれいろんな分野で活動していて、楽しいメンバーです。

さて、話を戻して。

私が旅するたたき場で手を動かして考えてみたいことを一旦整理の意味で箇条書きにしてみます。
これから活動、というか生活を通して変わっていくかもしれないけど、その時はまた追記していきます。

緩やかな革命を起こしたい。

革命、という言葉がベストかと言われるとまだ考えたいんですが、今思いつく言葉はこれしかなかった。でもやりたいことを整理しているときっとそういうことなんだろうな、と思ったので、小見出しにしてみました。
多分大きなテーマはこういうことなんじゃないか?

旅するたたき場で山田朋佳(やまだともか)が個人的に検証してみたい仮説を書き出してみます。仮説というか問い、という言葉が今のところしっくりくるかも、と思って問い:の表記にしてみました。

私は日々生きている中で常にいろんな疑問が頭に浮かんでくるんですが、すぐにその解法がわからなくても、それをずっと心に留めておいて、黙々と考えることが好きなようです。
でも忙しすぎると疑問に思うのはとても非効率的だから、流していってしまうことも多々あります。

たたき場ではそんな流れていってしまう疑問や問いを、時間をかけて考えていけるんじゃないかと思っています。
そしてそんな取り組みを一緒に考えてくれるメンバーだとも思っています。
心強い…メンバー以外の皆さんともぜひ一緒にウンウン、考えて話して、実験してみたい。
では問いにいってみよー。

問い:集団創作において、個は個のままで在れるのか。そしてくっついたり離れたりできるのか

演劇っていうのは、みんな集まったね、じゃ、よーいどん!!みたいなところがあると思ってる。みんなが集まらないと始まらない。一丸とならないと効率もよくならない。

加えてこの集団で一丸となる、というのは資本主義、効率主義の賜物で、じゃあこの二つから逸脱できるのか
これらによって普段削り取られている、もしくは意識してなくしている個人個人を保ったまま、集団というのは成り立つのか。

きっとどの集団も個はある程度保たれているし、その差はグラデーションであると思うのだけど、演劇という集団創作の場では往々にして個の何かを諦めなくてはならない瞬間がある。
でもそれは例えば貰える報酬によって補われていたりなんだりするのである。
だからたたき場では、今までの演劇の創作現場や、もっと広く言うと今までの社会が、集団の生産性を上げるために築いてきたルール、例えば時間を守る、休みが多いのは良くない、誰か一人の指針に従う、などを一旦もう一度考え直してみたい。それを一つずつ解体して、向き合って、試してみたい。
もちろん今までのやり方を否定するわけでは全くない。
ただもう一度考えてみたい、というだけだ。

それを考えるためにも”旅”、つまり移動すること、場所に縛られないこと、が物質主義や資本主義から離れる一つの方法になるかもしれない。そう思って旅をしたい。

問い:新しい考え方を生み出せるのか

というのも、上記の資本主義、効率主義からの逸脱にも関係してくるんですが、じゃあその逸脱した先はどんな景色が見えてくるのか、知りたい。
それは今の資本主義や民主主義とはまた違う考え方かもしれないし、古代ギリシャまで原点回帰するかもしれない。

加えて、逸脱した先といっても明確な見本や、思想や、社会の仕組みがあるわけでない、ということを常に念頭に置いておきたい。なぜなら新しく作り出したいと思うことによって、自由になれる頭もある気がしたからだ。
資本主義も社会主義も効率主義も歴史を振り返れば先人たちが作り出した考えなわけで、資本主義の前は違う考え方があったし、もっと遡ったり、世界を見渡すと様々な考え方がある。世界の見方も無限にある。だから私たちが普段生きている世界のルールとは違うことを実験して、検証して、新しく再構築していきたい。それは常に疑問を抱くということ。何かに安心しないこと。
見本や理想があると思ってしまうとそこに依存してしまう気がした。もちろん参考にはするけど、寄る辺がない方が盲信的になることを防げる気がしている。

でもこの「新しい」っていう言葉には気をつけたくて、別に何か革新的なことや新しいことをやることで注目を集めたい、歴史に名を残したいという意味ではない。私が生きてきた中でまだ知らない創作のあり方だから「新しい」と呼んでいるだけ。
「新しい」は最重要課題ではない。
結果的に「新しかったね」が理想なのかもしれない。
加えて、自分の心持ちとしては文化を作るつもりでいるけど、それは既存の慣習や考え方と徹底的に向き合うぞ、という決意であり、覚悟。
既存のものを否定したり、塗り替えたりしたいわけでは決してない。
だからこそ歴史や今までの思想や哲学や、人々の生活をもっともっと学びたいとも思う。

ただ時間は進んでいくわけで、今の私の選択が良くも悪くも次に繋がっていくことには自覚的でありたい。それを端的な言葉で言うと、歴史を作っている、ということに自覚的でいること。壮大な言葉に見えるけど、でもつまりはそういうことだと思う。

問い:上記の創作方法で、作品として成り立つものができるか

これは個人的な興味で、美しさや面白さを追求するあまり蔑ろにされていくものが多いのだけど、それでもやっぱり美しいものを観ると心が落ち着いたり、元気が出たりする自分がいる。だからやっぱり出来上がったものに、鑑賞者から見た何かしらの強度は必要だと思っている。美しさなのか、居心地の良さなのか、物語的な面白さなのか、それはまだわからないけど、でもこのやり方で面白いものができる、ようにしたい。
そしてもっと先を目指すなら、一つの言葉に沢山の選択肢を作りたい。
例えば、「美しい」と言う言葉に集約されてしまうモノやイメージがあるのなら、逆にその一言から沢山の選択肢を見つけたいし、それを開示したい。

そう、別に火炎瓶を投げるような革命ではなく、緩やかに、じわじわとまるで水が地面に染み込んでいくように文化を生成すること、いや生成される様を旅するたたき場で見たい。

でもそれは侵食なのかしら。
そんなことも頭をよぎるので、それも検証したいな。

ああ、それに私は誰かとちょっと話そうよ、遊ぼうよ、という仲間が欲しいだけなのかもしれない。
頑張らないで頑張るとか
こんな面白い世界があるよってみんなと一緒に楽しみたい。シェアをして、それもいいかもね、と言い合いたい。
メンバー以外の人たちともシェアをし合いたいんだと思う。

これからこんなことを考えて、手を動かして検証していけるのが楽しみです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?