最近わかってきた恋愛と人間と

今回の私はひと味ちがう
言うなら塩と粉末だしくらいに違う

 すこし前に恋愛として好きってなにと書いた。
でもこの間ヒトと話していたら
「人間として好き」と「恋愛として好き」の違いがわかってきたのです 
それを書いていきたいかと

ヒトと話していたときに教えてもらったのだが
そのヒトの周りの一人がこういったらしい。
「愛情を表現するには感情的な文がいい」と。
「論理的に表現してしまうとだめ」だと。

論理的な文で「愛」を語る例文を作るとして
「私はあなたの背が高いところが好き」
と相手に告げるとしよう。
論理的に言うと好きな部分が明確に、そして相手を本当に好きなんだと感じることができる

だがしかし、
「私はあなたの背が低かったら嫌い」
という捉え方もできてしまうのだ

これが論理的に愛を語ってはだめなところだ。

では、感情的な愛の例文をつくる
「私があなたが好き!!素晴らしいとおもう!」

感情的に言うとまるで相手の好きなところがわかっておらずただ好きといっているだけのように感じるが、、。

だがしかし、これを論理的な文章のときのように
ひっくり返そうとしてもひっくり返せない
ただただ好きという情報でしかない

これが愛は感情で表した方がいい理由なのだ。

それを踏まえての私のなかでの
「人間として好き」と「恋愛として好き」
                                         の違いを書いていきたい

人間として好きは先ほどの
「論理的な愛」と一緒なのではと考えた。

道端で倒れている人間、生物を助ける
思い荷物をさりげなく持ってくれる
人を思いやって行動している  などなど

明確な言動に対して魅力を感じる
どこが好きなの?と言われて
このように答え終えたら人間として好き。

そして逆に恋愛は「感情的な愛」と一緒
どこが好き?と聞かれて
えっ、、、どこだろう、、もう全体的に好き
と答えるしかできなかったら
きっとそれは恋なのではと私は考えた。

相手に会いたいと思ったときに
会いたいの理由がわからなかったら恋かもだし

相手のことを考えていたりしてたときに
なんで考えてたんだろうとなったら恋かもだし

オシャレしているときに相手に会えたら,,と思い
なぜそんなことを思ったんだろうとなったら
それも恋かもしれない。

これが正解なのか不正解なのかはわからないが
私は今これで考えがまとまっている


私のなかのあの人への好きはどっちなのか。

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