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読むナビDJ 5:ジョルジオ・モロダー - 過去記事アーカイブ

この文章はDrillSpin(現在公開停止中)というウェブサイトの企画連載「読むナビDJ」に書いた原稿(2013年5月2日公開)を転載したものです。掲載される前の生原稿をもとにしているため、実際の記事と少し違っている可能性があることはご了承ください。また、著作権等の問題があるようでしたらご連絡ください。

ディスコ~エレクトロのサウンド・クリエイターであり、多数の映画サントラを手がけたヒット・プロデューサーであるジョルジオ・モロダー。70年代後半から80年代にかけて熱心にヒットチャートを追いかけていた音楽ファンなら、確実にこの人の洗礼を受けたことでしょう。

良くも悪くもモロダーのシンセ・サウンドは、この時代を象徴する音楽といえます。ミュンヘン・ディスコといわれた黒人的なグルーヴ感を排除した単調なビートや、サントラ・ヒットで多用された仰々しいオーケストレーション。でも、あの当時のワクワク感は今聴いても意外に古くなっていないし、実際多くの最先端アーティストにもいまだに支持されています。直近では、ダフト・パンクの新作『ランダム・アクセス・メモリーズ』にも参加するというニュースが話題になったばかり。

再評価が高まるなか、5月にはなんと初の来日公演も決定。誰もが知っているドナ・サマーや映画サントラはもちろん、意外に知られていないソロやプロデュース・ワークも含め、モロダーの軌跡を映像で辿ってみましょう。

Giorgio「Looky Looky」

モロダーはイタリア北部の町で1940年に生まれました。初期の活動はかなり謎めいていますが、ドイツに渡りベルリンを拠点にソロ活動を開始。ジョルジオ名義で1969年に発表したシングル曲「Looky Looky」が初のヒットとなりました。ビーチ・ボーイズの影響を受けた他愛のないバブルガム・ポップスですが、サビの裏で弾かれるピアノの連打や中間部の浮遊感には、すでにモロダー節の予兆が感じられます。

Chicory Tip「Son Of My Father」

ソロ活動を行いながらも、プロデューサーとして評価され始めたことと、英国のソングライターであるピート・ベロッテとの出会いが彼の運命を大きく変えていきます。そんな流れの中、最初のプロデューサーとしての成功は、チコリー・ティップの1972年のシングル・ヒット「Son Of My Father」。少しグラム・ロックの要素も入ったポップ・グループにきらびやかなシンセをまぶして、個性的なサウンドに仕上げました。この曲は自身でも後にセルフ・カヴァーしています。

Donna Summer「I Feel Love」

ピート・ベロッテとのタッグがもっとも成功したのは、やはりドナ・サマーの一連の作品でしょう。1974年のデビュー作『Lady Of The Night』はオランダのみのリリースでしたが、じわじわとヨーロッパで売れ続け、2作目の『Love To Love You Baby』(1975年)が大ヒット。以来、「Could It Be Magic」(1976年)、「I Love You」(1977年)、「Bad Girls」(1979年)、「Hot Stuff」(1979年)といったディスコ・チューンを連発。なかでも1977年の「I Feel Love」は、モロダーならではのエグいエレクトロ・ビートが強烈な一曲です。

Giorgio Moroder「Knights In White Satin」

ヒット・プロデューサーとしての地位を確立したとはいえ、モロダーはもともとソロでスタートを切ったアーティスト。よって、節目節目で興味深い作品を残しています。もっともユニークなアルバムといえば、1976年の『Knights In White Satin』かもしれません。そのタイトル曲は、ムーディー・ブルースの1967年のヒット曲「Nights In White Satin」をディスコ化したという異色作。しかも、LPのA面を2部に分けて収録し、間にモロダーの自作曲を挟み込んだ組曲形式で、ディスコ・サウンドを取り入れたプログレといってもいい構成になっています。

Giorgio Moroder「From Here To Eternity」

前作『Knights In White Satin』で、ソロ・アーティストとしてもディスコ人生を歩み始めたモロダーは、続くアルバム『From Here To Eternity』(1977年)でシンセサイザーのみを使い、完全にミュンヘン・ディスコのサウンドを確立します。当時は画期的だったノン・ストップ・ミックスの手法を用いて、ダンス・ミュージックとしても“使える”一枚となりました。本作が後のハウスやテクノのクリエイターに与えた影響は多大で、再評価の声も高い傑作です。

Janis Ian「Fly Too High」

モロダーのプロデュース・ワークは、いわゆるディスコ系のアーティストだけでなく、ジャンルをまたいで多岐に渡っています。珍しいところでは、ジャズ・サックス奏者デヴィッド・サンボーンや、ドイツのエキセントリックな歌手ニナ・ハーゲン、そして初期のジャネット・ジャクソンなど。ジャニス・イアンのプロデュースを手がけていることはあまり知られていませんが、彼女のアコースティックなイメージとは一味違うコンテンポラリー・サウンドが新鮮です。

Irene Cara「Flashdance...What A Feeling」

さて、モロダーといえば、やはり映画音楽は外せません。1978年にアラン・パーカー監督のトルコを舞台にした社会派映画『ミッドナイト・エクスプレス』を手がけ、アカデミー作曲賞を受賞。それからは数々のサントラに引っ張りだことなります。もっとも成功したサントラのひとつが、1983年の『フラッシュダンス』。アイリーン・キャラが歌う主題歌はアカデミー賞を受賞し、マイケル・センベロの「Maniac」なども含むアルバムも大ヒットしました。

Limahl「Never Ending Story」

『フラッシュダンス』の大ヒットを受けて、翌1984年も快進撃を続けます。この年に話題になったのが、フリッツ・ラングのサイレント映画に大胆な音楽を付けた『メトロポリス』と、ミヒャエル・エンデのファンタジー大作を映像化した『ネバーエンディング・ストーリー』の2本。後者はカジャグーグーのヴォーカリスト、リマールが歌った主題歌が爆発的にヒットしました。ちなみに、羽賀健二がまったく映画に関係ない日本語詞でカヴァーしており、こちらもカルトな人気です。

Berlin「Take My Breath Away」

『フラッシュダンス』以降、『フットルース』や『ゴーストバスターズ』などいわゆるMTV的感覚で音楽もフィーチャーされる映画が多数生まれました。そういったサントラ・ブームを決定付けたのが、トム・クルーズの出世作でもある1986年の『トップガン』でしょう。ケニー・ロギンスの「Danger Zone」と並んで、ベルリンの「Take My Breath Away」も大ヒット。70年代後半から活動する不遇のエレポップ・バンドが、モロダーの浮遊感に満ちたプロデュースで見事に一線へと飛び出しました。

Koreana「Hand In Hand」

モロダーのスケール感のあるプロデュース仕事は、サントラだけにとどまらずスポーツの世界でも重宝されました。1984年のロサンゼルス五輪ではオフィシャル・テーマソングの「Reach Out」をプロデュースし、続く1988年のソウル五輪では、この「Hand In Hand」を手がけました。バイリンガルの韓国グループ、コリアーナがド派手なシンセ・サウンドに乗せたオリエンタルの雰囲気のメロディが特徴。モロダーはその後も、サッカーのワールドカップ、F1グランプリ、そして2008年の北京五輪などにも関わり、すっかりスポーツ界でも定番となりました。


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