チッソは私であった

チッソは私であった  緒方正人 2001年

緒方正人さんは昭和28年生まれ。
6歳の時に父が水俣病を発病し、急性劇症型で2ヶ月後に死亡。

緒方さんはチッソと関わるうちに、問題が起きると仕組みばかりを作って真心と離れていく社会、全てに値段が付いているような社会のあり方に関心が向けられていきました。
「水俣は、今日の世に対して予言的でありました」

以下、一部を引用します。

「水俣、芦北の方でも自然がさまざまに壊されています。壊している相手は決して企業や会社だけはなくて、私たちの生活そのもの、農業、漁業のあり方そのものが壊しているという面もあります。ですけれども、壊していることの痛み、自然の痛みをさまざまに感じとっていかなければいけないんですが、そういう自然の命に目覚めるということが、私たちの大きな課題としてあるように思います。何よりこの世に生まれて、生かされて、生きて、生き抜いて、そして、見事に死にきりたいですね。」

「水俣病の事から、実は戦争の問題を考えるようになり、沖縄や広島・長崎の問題も少しわかるようになり、様々な社会事件や薬害事件や、日本国内だけじゃなくて、あちこちで起きる民族同士の対立の問題や宗教戦争や、いろいろなことを考えるようになりました。ですから、水俣病事件というのはチッソを問うていたという言い方もありますけれども、おのれが問われていた気がします。」



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