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真摯さの摯は幸せを丸ごと手に入れると覚える

エッセンシャルマネジメントスクール(EMS)3期を受講して学んだことを書きました。

1.いのちとは何か 自然の中で人だけが特別なのかな
EMSでは「学問とは問いを立てて学ぶことである。」と最初に言われます。
例えば、大久保寛司さんの問いは「生きるとは、人生とは何か」、新井和宏さんの問いは「お金とは何か」です。
私の問いは「いのちとは何か 自然の中で人だけが特別なのかな」というもので、これは10代の頃から持っていました。この問いについて気づきがありました。
2.EMSというコンテンツとは何か
EMSという学びの場がどのような価値を生み出しているかを考えてみました。

1.いのちとは何か 自然の中で人だけが特別なのかな。
「仕事をする=価値創造」
「雰囲気=仕事力」
この言葉は生き物全てに当てはまるように思えました。
例えば、木が木陰を作り旅人を休ませて、枝の中で小鳥を育てること。
バラの花が良い香りであること。

宇宙は137億年続いていて地球誕生は46憶年前とされています。
いのちの始まりは解明されていませんが、38億年前には海が存在して、弱いながらも細胞膜をもち、自己複製をする最初の生命体がありました。その小さな身体の中で遺伝子として働いたり、たんぱく質を合成したり、生命とよべる仕事にかかわっていたのはRNAです。RNAは、時々破ける細胞膜を通って、他の細胞に取り込まれたり、細胞同士が融合したり、自他の区別がはっきりしていない時期であったと考えられます。
27億年前にシアノバクテリアが誕生しました。シアノバクテリアは、太陽の光を使って水と二酸化炭素から糖分を作ります。吐き出される酸素により、地球の大気に酸素が含まれました。
細菌のように細胞核を持たない生物を原核生物といいます。細胞の中に核を持っているのが真核生物です。真核生物は20億年前に誕生しました。
ミトコンドリアは真核生物が生きるためのエネルギーを作り出している器官ですが、独自のDNAを持っていることから、細胞内に取り込まれて共生した原核生物がその起源と考えられます。
光合成を行う葉緑体は、細胞に共生したシアノバクテリアが起源と考えられています。
20億年前に真核生物が誕生した後も単細胞生物の時期が長く続きました。
多細胞生物は10~14億年前に誕生し、5億年前に脊椎動物が誕生、6,500万年前から哺乳類が多様化してきました。

細菌はその形をあまり変えることなく現在に至り、地球上のいのちと共に生きています。
植物は土の中で根に共生しているアーバスキュラ菌根菌を通じて対話しています。
アーバスキュラー菌根菌は植物と共生する真菌類の中でも最も歴史が古く、植物が海から陸に進出した4億年以上前には、すでに共生していたと考えられてます。
動物の腸内細菌叢を構成する細菌は、宿主である動物の代謝や免疫に関わり、健康維持しています。
細菌は他の生物と共生して、いのちを繋いでいます。

いのちは与えられたもの。
いのちはお金では買えない。
全ての生き物に平等にひとつずつ。
いのちは多様。比較できない。数字に置き換えられない。
植物も動物も地球のいのちのシステムの中に生まれて生きて死んでいきます。人は環境に与える影響を強く持っている生き物です。人と家畜が増えすぎています。人類の誕生は20万年前と考えられており10億人まで増えてからたった200年で70億人に増えました。
今こそ人間性を高め、地球のいのちを考えた新しい行動が求められています。

防災とは「地球との関係づくり」「もしもはいつもの中にある」。
自然の奥深さをあまり考えることなく目先の利益が優先される行動を見直す時期にきています。

2.EMSというコンテンツとは何か

1)EMSは本質行動学を学ぶ場

学問とは問いを立てて学ぶこと
教えることから学ぶことへ
チームベイスドFAという構造の学び場
「講義」「質疑応答」「講師を混ぜた場」

EMSは「発明」
西條剛央さんがコンテンツを生み、「人」を仕入れた。そして人が輪を繋いでいる。
本質行動学の元に集まってくる人がいろいろなことを出来る場。
肯定される場で互いの対話、自分との対話が深まる場。

2)EMSは肯定される場・肯定する場

ジャッジしない。
相手にはそうする理由がそれなりにある。
人は理解された時に変わる。
物事の本質を捉えたら変わる。
話を聞くというのはジャッジしないこと。自分の枠組みを捨てること。

このことは自分自身に対しても当てはまります。
自分自身に対して「こうでなくではならない」という枠にはめていると自分で自分の成長を妨げています。
セルフマネジメントには「ゆるす」「手放す」「委ねる」が大切です。
失敗したのは何かに挑戦したからです。挑戦がなければ失敗もなく成長もありません。

3)「自分」という檻に気づく

天真爛漫な赤ちゃん時代から自分の中で価値観がせめぎあって「自分」だと思っているものになっています。
閉じ込めた自分はそれぞれのタイミングで顔を出します。
新しい段階にいく成長のタイミングかもしれない。
何かをやりつくしたタイミングかもしれない。
感情は無くならないけど、そういう感情があることを認めてあげると消えていきます。
自分の思考がジャッジしていること、それがしんどくなってきます。
評価を見直してみましょう。
みんなすごいのよ~

したいのに何故かできない。
やりたくないのに、何故かやっちゃう。
そういった行動の中に裏の関心が有ります。
〇〇しないほうがいいと思っている理由があるとしたらなんだろう?
〇〇したほうがいいと思っている理由があるとしたら?
もっと自由にはばたけるように。
やりたい事、小さい事でも、やっていきましょう。

4)強みに気づく

強みとは、外の世界に変化が起こる事、成果を生むものです。
アウトプット出来ないものは強みではなく、他人に使ってもらうことで価値が大きくなります。
私的な強みは公益になります。価値観は広い意味の強みです。
強みは得意分野ではなく、生まれ持った資質のようなものです。
関心×能力=強み

強みは、心からの望みとしてやってしまうことです。
資質の概念で、後天的に獲得するものではありません。
他人との比較ではなく、自分の中での相対的な指向性であり、関心に近いものです。
関心を見極める=自分が本当に大切に思うことを行うこと
会社も人も理念と在り方の一致を常に目指しています。
真摯さとはいつも真摯でありたいと願うことです。
自己実現の喜びを社会の一員として得ることが強みが活かされている状態です。

5)「無責」という考え方

「無責」とは「自責」も「他責」もしないで、みんなで事象の因果関係を研究することです。
多様な価値観を尊重する、という考え方が、従来の「正解」を求めてきた考え方に代わりつつあります。
まだまだ道半ばであり、「正解」という意識に基づく「いじめ」の種は尽きません。
他人を責めたり頼れない人がアルコールや薬物に依存する場合もあります。
人はそれぞれの関心、経験から構成された構造です。
自分の関心、相手の関心をジャッジせずに認めることが多様な価値観の尊重を可能にすると考えられます。

6)共感・共存・循環

共感・共存・循環は、いのちはみんなやっていることです。
必要以上に貯めることなく循環させることが大切です。

7)3期でいちばん心が動いたこと

チームの居心地の良さに一番心が動きました。
大人になってからは素直に語り合う事は減りますが、EMSの中では回を重ねるごとに素直さがぐんぐん出て語り合うことができます。
チームでの居心地の良さの要素としてひとつは、個人レベルの人格の成長が挙げられます。
EMSでは「チームベイスドFA」とスクールタクトによるリフレクションにより、お互いにお互いを認めながら成長できる特殊な時空間だと言えます。
お互いを肯定し、お互いに肯定される、この雰囲気が新しく入ってきた方に「怪しさ」を感じさせることもあります。
外に目を向ければ改善しなくてはならない点がたくさんありますが、まずは自分の心の平和から始めていくことが基本だと考えられます。

8)学びからの変容

ご機嫌に過ごす。
いい気分は周りに伝わっていきます。
自分や周囲へのジャッジを止めて、いいと思ったことを出来ることから素直に行動に移していくことが出来るようになりました。ジャッジを止めるという観点を持つと、五感を働かせる余裕が出てきました。
また、共感できる仲間との交流は心身の健康を保つのに不可欠です。
東京は高齢者が増えていて、私も仕事で在宅診療を受けている患者さんにお薬を届けています。また、介護者さんが出かける時に患者さんを見守るレスパイトケアも行っています。より安心できる人間関係を築くためにも、心が平静で五感が働くことが役立ちます。

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