見出し画像

時間貧乏

「時間貧乏」。この言葉は自分によく当てはまると思う。
何もしない時間がすごく苦手で、常に何かしないとと時間に終われ、窮屈な時間を過ごしていることが多い。
ぼーっとした時間を過ごすことに罪悪感を感じてしまう。

ルーツ

大学生になった頃から、自分て時間貧乏だなとよく感じるようになった。
大学時代は意識して、切磋琢磨できる仲間がいる環境に身を置いていたからこそ、周りの頑張りとかを見る度に、自分ももっと勉強しなきゃとか、もっと頑張らなきゃと思えた。
それ自体はとても良いことだったし、結果的に自分の可能性を大きく広げることができたが、何もしないことに窮屈を覚えるようになってしまった。
それ以外にも、親の影響がある。父親はのんびりした性格ではあるけれど、一方で母親は自分と同じ”時間貧乏”族だ。自分の性格は母親に似ているところが多く、少なくとも母親から影響を受けていると思う。

社会人になってみて

社会人になってからも、時間貧乏であることに変わりはない。
平日は仕事終わりに何かしないと。。という気持ちに駆られる。
昔から趣味であったウクレレや運動に加え、社会人になってからは簿記や食生活アドバイザーの資格に取り組んでみたり、タイ語を勉強したりしている。
休みの日も同じで、1日何もせず家にいようものならとんでもない罪悪感を感じてしまう。
基本的に自分の予定はスマホのメモで管理しているけれども、何かしら予定を入れるようにしている。
(メモでスケジュール管理している人って中々珍しいと思うので、またそれも今度別の記事で書いてみようかな。)

メモに毎日のTo doを書き込むようになってかれこれ3年ほど経つけど、一度To doに書き込んだら、それをやり終えないとソワソワしてしまう。
逆にTo doに書いていないことに関してはとことん関心がない。笑
もう何かしらの病気かもしれない笑

趣味も基本的にはTo doに書き込んでいるけれども(書かないとやろうという気持ちにならない)、それをしていると趣味なのに趣味をやることが義務みたいになってしまっている。それは自分でもどうにかしたいと思っている。
本来は、自分の好きなこととかやりたいことをするのが趣味であるはずなのに、、、
自分の気持ち以上にやることに支配されていることがすごく嫌だし、変えたいと思っている。

きっかけ

そもそも、時間ということについて考えるようになったきっかけは大学時代に参加した「いなかドア」がきっかけだ。
いなかドアは、高知県四万十の廃校になった校舎を拠点とし、2週間田舎で生活をしながら日々のやりたいことを朝のミーティングで参加者と決め、それを実行するプログラム。当時、コロナ禍で海外にも行けなかったので何か国内で面白い経験がしたいと思い参加することに。
実際に海や山、釣りや農作業をしたりなど今までしたことのないようなことを様々経験できた。高知での生活は非常にゆったりとした時間が流れており、今まで自身が経験した時間とは真逆の時間だった。
大自然の中に身を置くことで、自分の求めている感覚や素直な気持ちに気づくことができた。
この経験を通じて、自分にとってはゆっくりした時間も必要であると学んだ。

これから

ここまで色々話してきたけど、今の自分は充実した時間を過ごすことができているし、満足もしている。
ただ今は自分の気持ち以上にやること、やらなければいけないことで時間を過ごしていることが多く、それは変えたい。もっと自分の心の声を大事にしていきたい。
でも、いつも通りの日常生活を過ごしていると、ましてや仕事をしていると心の声が何かわからなくなる。
今自分に必要なことは強制的に2日間くらい大自然にある宿に泊まって、ゆったりとした時間に身を置きながら自分と向き合うことだと思う。
近々どこかの週末を使って行ってみよう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?