見出し画像

競馬姉妹

1995年3月18日発売の「ウイニングポスト2」というゲームがある。もう25年も前のゲームだ。その「ウイニングポスト2」が、わたしと競馬との最初の出会いである。
あの頃のスーパーファミコン用のソフトというのは1本1万円を超える高価な物だったけれど、妹が何故か乗り気で、これを買うなら少しは自分も出すからというので購入することにした。
小学生の頃からのゲーム好きで、普通のゲームにやや飽きかかっていたわたしたちがあえて選んだのが競馬シミュレーションゲーム「ウイニングポスト2」であったというのは、なんとも不思議なご縁だと思う。

当時、わたしたちは大学生と高校生の姉妹だった。

カセットを挿入しスイッチを入れるとすぐに流れ始める、オープニングムービーがドラマチックだった。

そのストーリーとは、

――最強牝馬と呼ばれたある馬が勝利を期待された有馬記念、ゴール前で故障を発生しそのまま引退。繁殖入りして生んだ最初の仔は、母親にそっくりの牝馬だった……

というもの。
最強牝馬の娘が新たなスターホースとして大活躍することを予感させるナレーションが流れたところで、ゲームのタイトルロゴがどーん。
次に、牧場の風景。一頭の賢そうな仔馬が、優しい目をした母馬の元に駆け寄るシーンで終わる。
そのムービーに一発で参らされたわたしたちはゲームに夢中になった。
牝馬、というチョイスが良い。母娘の夢の継承っていうのがロマンチックだ。

とはいえ、ゲームの中で直接そのストーリーを追いかけるわけではない。やることといえば、レースのスケジュールに合わせて自分の持ち馬をレースに出走させること。時期が来れば馬のセリに参加したり、資金が貯まれば自分の牧場を持って繁殖したりもできる。
今考えればオーソドックスな競馬シミュレーションだけれど、レースの名称や番組表は実在の競馬に基づいて作られているし、騎手や調教師・馬主の名前も実在の関係者たちの名前をもじってつけられていたので、画面の前で馬主ごっこに興じるうちに競馬のスケジュールや競馬にまつわる地名や人名、その他の基礎知識が自然とすいすい頭に入っていった。

このゲームの特徴的な点は、馬も人も加齢して表舞台から姿を消していってしまうことだ。自分=プレイヤーも例外ではない。馬主として過ごせる時間に30年という時間制限があった。その30年の間に馬主としていかに輝かしい実績を上げるかということがゲームの目的になる。競馬にまつわる人々との出会いや馬たちが織りなすドラマを演出するイベントがちりばめられており、わかりやすくドラマチックなゲームだった。10日ほどかけてゲームの30年を遊び終わる頃にはわたしたちはすっかり競馬の虜になっていた。
そうなって初めて、「あれ、もしかして現実にやってる競馬も同じことなのかな?」と気がついた。それならば是非本物の馬が走る競馬というものを見てようじゃないか、ということになる。季節は折しも春のクラシック戦線が始まろうとする頃だった。日曜の午後にテレビで競馬中継があることがわかった。当時わたしが住んでいる地域でやっていたのは、関西テレビのドリーム競馬だ。宮川一郎太さんがメイン司会で、杉本清さんが実況を担当されていた。

ゲームにハマる一方で、そこは未成年の女子であったので、わたし達にとって現実の競馬場というと「怖いおっちゃんたちがいっぱいいるところ」というステレオタイプなイメージは消せずにいた。だけど、テレビで見てみると、競馬を好きな人たちはゲームの中に登場するキャラクターと同じ紳士的で優しい人たちだった。ギャンブルとしての側面はもちろんあるけれど、見ているのは馬を通してロマンを感じてる人たちなんだなあと思った。
そしてなにより、実際のレースは迫力があっていいなと思った。

競馬のゲームに出会うまで家族や親類など身近な人の中に競馬を楽しむ人は存在しなかったし、大学生と高校生の娘たちが競馬にハマって親がいい顔をするはずはないのであるけれど、そうは言いつつ、ゲームの画面をチラ見していた母もいつの間にやら競馬の知識をつけ始めていた。

その頃には土日にKBS京都の競馬中継が日がな一日お茶の間のテレビを独占するようになった。

初めて買ったリアル競馬関連の本は、「優駿」だった。

忘れもしない、赤いメンコの「ライデンリーダー」が表紙を飾っていた。
これまた感心したのは、競馬の雑誌って恐ろしく真面目な作りなんだということだ。なにより、写真がとても美しい。思い出のアルバムとしていつまでも持っていたいようなすてきな本だ。まさか、こんな世界が広がっているとは。

ゲームは実際の競馬を下敷きにして作られている、というのはわかっていた。といってもそれは、競馬の番組や制度という枠組みだけの話かと思っていた。
でも、実はそれだけではなかった。あのゲームは、そこに集う人たちの心、何を楽しみに競馬を見るのか、競馬を通して何を感じるのかという精神性まで含めた競馬の世界を写し取ろうとしていたのだ。
わたしたちにとって入口はゲームであったけど、競馬の持つ世界観がそもそも自分の感性に響くからここまでファンを長く続けられているのであって、それはもうゲームでなくともいつかは出会う運命だったのではないかなと思ったりするのだ。

ゲームで刷り込まれた「牝馬のロマン」

そして最初に買った優駿の表紙で刷り込まれた「赤いメンコ」のヒロイン。

そんな中、出会ったのがビワハイジという牝馬であった。わたしが競馬を見始めて2年目の夏に札幌三歳ステークス(当時)で優勝。のちにオークス・天皇賞馬となるエアグルーヴに負けたチューリップ賞、エアグルーヴ不在の中馬群に沈んだ桜花賞。その後、エアグルーヴとの対決を回避(?)してのダービー参戦。ダービーでの競走中の怪我で戦線を離れた時に、愛情に火がついてしまった。

ビワハイジの復帰を待ちながら、横断幕をちまちまと縫った。真っ赤な生地の両端に縦長の楕円の穴を開け、裏から黒い生地を貼る。文字はパソコンとプリンタを駆使して型紙を作り、大判のフェルトを切り抜いて作る。

横断幕2

「あかいメンコがおきにいり」
なんというメルヘンなキャッチフレーズだろう。

当のハイジがそのメンコを「おきにいり」だったかどうかなど知るよしもない。なんのことはない、トレードマークの赤いメンコはわたしたち姉妹の「おきにいり」だったのだ。

画像3

結局その横断幕は復帰戦のカシオペアステークスから、ラストランとなった京都牝馬特別までの4戦すべてのパドックに掲示することができた。スペース確保が難しいと思われたエリザベス女王杯の日には、夜明け前から京都競馬場の正門前に並んで開門を待った。

さて、京都牝馬特別の勝利を最後に引退したビワハイジ。それで物語は終わったと思っていたら、そこから8年後、ハイジは希代のスーパーホースを世に送り出す。

その名は、ブエナビスタ。

まるでゲームを地でいくような展開ではないか。

一方、ハイジがターフを去ったのと時を同じくしてわたしは関西から関東へ拠点を移し、無二の競馬仲間だったわたしたち姉妹は遠く離れたところで暮らすようになった。またそのうちわたし自身が母となり、次第に競馬場から足が遠のいていた。

ハイジが運命の仔を産むまでに8年。その仔がターフにデビューし名馬としてその名を轟かすまでにざっと10年。

ゲームの30年は10日かそこらで過ぎていくけれど、現実の10年は長い。特に、10代の終わりから20代後半にかけてのわたしたちにとってもそれは変化の多い10年だった。

さて、時はさらに流れ、2011年10月30日。天皇賞・秋。
子連れになってからのわたしはG1レースが行われる日に競馬場に行くのをずと避けていたが、この日は意を決して東京競馬場に行った。なんとなく、ブエナビスタに会える最後のチャンスだという気がしたからだ。
メインより2つほど前のレースからパドックに立って、対面の時を待った。自分としては早めに行ったつもりだったのに、最前列は取れなかった。

20111030ブエナビスタ

わたしたちが姉妹で競馬場に通っていた頃は、パドックで間近に贔屓の馬に会うことを何よりの楽しみにしていた。そういえば、G1レースの日などは朝からずっとパドックにいないと最前列で見ることはできなかった。そんなとき、わたしたちは二人して横断幕の裏側でしゃがみ込み、メインレースまで日がな一日馬オタク話に花を咲かせていたものだ。

今日は一緒に来られなかったため「ブエナビスタの応援に来たよ」と妹にメールを送る。「わたしの分まで応援よろしく」と返信が来る。

スタンドに移動するとターフビジョンで、京都競馬場のメインレースの中継が放映されていた。

京都のメインは「カシオペアステークス」

レースのタイトルを見てなにか胸にキュンとくるものがあった。少し考えて、そういえば、カシオペアステークスってアレだ、ビワハイジがダービーで負傷して一年半の休養の後、復帰緒戦に選んだレースだと思い出した。

そう、わたしたちが出来たての横断幕をひっさげて京都競馬場に駆けつけたあのレースではないか。

それはとても個人的な発見と感動。だけど、そういう個人個人に物語があるのが競馬なんだと思う。
きっと、今日のブエナビスタから新たな物語を紡ぐ人もいるんだろう。そういう競馬がわたしは好きだ。

結局、その天皇賞・秋では、ブエナビスタは4着に終わった。

その後、勝利を飾った次走・ジャパンカップやラストランの有馬記念を観戦しに行くことはかなわず、それが本当にブエナビスタの見納めとなった。

また何年か経ったら、わたしたちはブエナビスタの仔がG1レースに挑戦するのを見に行くのだろうか。今のところ、まだそのチャンスは訪れていない。案外ドラマチックな展開が起こりにくいのもまた競馬の面白いところ。

そうこうしているうちに、リアルな30年が過ぎてしまいそうだ。

この記事が参加している募集

自己紹介をゲームで語る

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?