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マリの後はブルキナファソ経由で海岸へ降りガーナ、トーゴ、ベニン、そして再び北上しニジェールへ。マリから流れてきたニジェール川と再開した。 再びサヘルと呼ばれる地域、サハラの麓へと戻ってきた。 ガーナなどの熱帯の地方を旅した後、やはりサヘルの国々は貧しいなあと思うのである。国土が貧弱なのが一番の理由か、餓えた子供たちが非常に多い。空缶や空き鍋を持って、バス停をはだしで駆け回る。この子供たちはセネガル、マリ、ブルキナ、そしてここニジェールと多く、熱帯雨林が茂り、国土が豊かな
ガンビアのジャンジャンブレからマリ共和国の首都、バマコへは目一杯移動して、丸3日かかる。うぉ~、長~! バマコは首都だし、ちょっとした都会を期待していたのに、何もなかった。どっかの西洋人が「街じゃなくってただの大きい村だ」と罵声を吐いてたっけ。 アフリカの都会は本当に何もない。トホホだ・・・イランやパキスタンの都会で何にもないなーと嘆いていた自分はかわいかったのだなと今になって思う。 バマコからアフリカのベニスと呼ばれるモプティへ。期待するまでもなくベニス感はゼロだった。
モーリタニアからセネガルへ入ると景色は一変した。砂だけだった大地から緑の連続。ああ木々がなんと心に安らぎを与えてくれることだろうか。大地が生命でみなぎっていた。サハラ砂漠は終わったのだ。 フランスの植民地時代の町サンルイを経て、首都ダカールへ。 物価が高い高いと噂の西アフリカだが、残念ながらそれは事実で一日目の夜は一室22ドルの部屋しか見つけられなかった。 翌日、娼婦宿を除けば、おそらく街で一番安いであろう部屋を見つけたが、それでも一室2,000円もした。 この西アフリカの
モロッコのマラケシュから4日かけてサハラ越え。 マラケシュから西サハラのダクラへは2日、西サハラは今もモロッコからの独立を主張している紛争地帯で今も地雷が多数埋まっていて、外務省からも渡航自粛勧告が発令されている。モロッコの警察や軍による取り締まりも厳しく、検問の度に外国人である僕や、アルカイダと勘違いされた現地のヒゲモジャの男などはバスから下ろされて、尋問を受ける。なんとこの検問は7回も行われた。ゲンナリ・・・ ダクラから南は公共の交通機関は皆無に等しい。このサハラ砂