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チーム竹島の見果てぬ夢 第1章 竹島将の死


チーム竹島の見果てぬ夢 ・・・これは30年程前に出版された本を加筆訂正し、再録しています。1990年代から始まる日本人選手の世界進出と大躍進のきっかけをつくった「チーム竹島」を助監督として追いかけた遠藤智が書くノンフィクションです。全7章、全7回でアップします。第1章「竹島将の死」 第2章「大きすぎる夢」 第3章「ヨーロッパに」 第4章「レースの興奮と空しさ」 第5章「嘘と憎しみ合いと」 第6章「夢の残がい」 第7章「クレイになれなかった男」。書き出しがちょっと重苦しい空気に包まれますが、ここから壮絶なストーリーが展開されていきます。購読よろしくお願いします。

「第1章」 竹島将の死

「7月の寒い朝に・・・」

どこの家庭にも1枚は必ずある、そんな写真をぼくは思い出していた。子供の写真だった。その写真は3歳か4歳くらいの時に撮ったものなのだろう。どろんこ遊びをしているその子は、カメラを構えているパパとママに向かって、嬉しそうに笑顔をつくっていた。

彼はその写真を、カレンダーほどの大きさに引き伸ばし、仕事部屋の壁に掛けていた。竹島将が死んだと聞いた時、ぼくはその写真を思い出していた。

これは、1991年7月6日の新聞記事である。竹島将という人気作家が亡くなった事故だけに全国紙に掲載された。これはその要約である。

 6日午前8時50分ごろ、東京都大田区の環状8号線の交差点で、右折しようとした教習用乗用車と、横浜市の作家竹島将さん(32)のオートバイが衝突、竹島さんは頭を強く打ち間もなく死亡した。竹島さんは静岡県沼津市出身。昭和59年「ファントム強奪」で作家としてデビュー。クライシス小説と呼ばれる冒険作品を次々に発表、人気上昇中だった。竹島さんは、世界グランプリでチームを持ち、チームオーナーとして参戦中だった。

その日もまた、「電話です」という声でぼくは朝を迎えた。時計を見るとまだ午前7時だった。「まったくしょうがねーな」。そう咳きながら、となりに寝ているわが子を気づかったぼくの動作は、ひどくゆっくりだった。

寝袋のファスナーを慎重に下げた。それでも、じょりじょりというプラスチックの擦れる音が部屋中に響き、その度に生後6か月になる娘の夕唯が、びくびくっと体を震わせた。ぼくは音をたてないようにジーパンを履き、それから扉をそっと開けた。

メカニックの戸堀浩行が立っていた。

「竹島さんから?」ぼくが言う。

何か言いたそうに戸堀が一瞬口ごもった。だが、口ごもったように見えただけなのかも知れなかった。

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