再現性や一般性はあくまで価値基準の1つだからそれに縛られ過ぎなくても良いと思う
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こんにちは、旅人先生Xです。
今日は「やることの再現性や一般性」について考えたことを書いていきます。
ぜひ、のんびり目を通していってみてください。
目次は、以下の通りです。
再現性や一般性があることは大切な一つの価値だと思う
学校の授業などでは、どんな目的で、どんな活動をどのように行うかといったことを考えます。
その時、「その実践が別の人でもできるか」「別の子達相手でもできるか」といった再現性や一般性がしばしば重要視されます。
確かに、私もそれはとても大切なことだと思います。
力を入れて、考えたり、準備したりしたものが別の場所や人、違う相手に活用してもらえるとしたらとても嬉しいですし、役に立てた気がします。
ただ、再現性や一般性もまた、一つの価値基準だとも思います。
目の前の子供達に合わせるのは不可欠なことです。
しかし、別の人が同じようにできるかどうかまで考慮して、内容や方法を調整することは、毎度毎度しなくても良いのではないかとも思います。
そもそも目の前の子供達の実態は集まっている人たちによって違いますし、やる人の人柄などによってもちょうど良い方法などは異なります。
そのため、再現性がある実践にしても、多少の調整は必要なのです。
だから、授業などを考えるときに、いつもいつでも、再現性や一般性ばかりを強く意識しすぎなくても良いのではないかと私は考えています。
広げたいことなら再現性を考慮した実践をしたり、チャレンジしてみたいことなら工夫を凝らした実践をしたりする。
そのように自分なりにバランスをとっていけばいいのではないかなと思います。
「誰でも実践できる」みたいな呪縛に囚われすぎてしまうと面白くできることもつまらなくなってしまうこともあるのかもしれません。
子どもたち一人ひとりを大切に思う気持ちをベースに。
色々な実践を考えたり、行ったりしていく上で、先ほど書いたような再現性や一般性、新しいことに取り組んでみる挑戦の気持ちは大事なことだと思います。
ですが、決して忘れてはいけないのは、「子どもたち一人ひとりを大切に思う気持ち」だと私は考えています。
熱心に考えているといつの間にかズレが生じてしまうことがあります。
例えば、再現性のある実践を考えようとか、挑戦の実践にしようとか考えているといつの間にか、子どもの目線をおざなりにした授業ができあがってしまうようなイメージですね。
子どもたちのための授業がいつの間にか、先生の満足のための授業みたいになってしまうというわけです。
落とし穴だなと私は感じます。
そうした落とし穴にハマらないためにも、「子どもたち一人ひとりを大切に思う気持ち」をベースに持ち、授業などを考えていくことは大事なのではないでしょうか。
「こうしないと」とか「こうあるべき」みたいな型やイメージが大切なのではなく、目の前の子供達が大切だと思います。
再現性という価値基準に振り回されてしまうのではなく、その価値基準を子どもたちを大切にした指導に生かす。
そんな風に考えることができたら、授業を考える時の柔軟性が高まる気がします。
今回考えてきた内容は、学校の授業についてでしたが、このことは別の仕事の内容にも置き換えられるような気がします。
大切なことをベースに、様々な方向性でアレンジをしていくという方法はきっと役に立つのではないでしょうか。
今回は以上になります。
最後までお読みいただきありがとうございます😊
ではまた、次の記事でお会いしましょう。
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