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死に行く人々、残される人々

私は、延命措置をしないで欲しいと夫に伝え、エンディングノートにもそう記している。自然に任せて、家族に余計な負担をかけずに人生を終えたいと思っていたから。でも、最近それを少し考え直した。きっかけは、夫からある話を聞いたから。

夫は今、ホスピスに関わる仕事をしていて、死に行く人々とその家族に毎日会っている。その中で、年老いた母親のホスピスケアを自宅で始める兄妹に会った。夫がその母親のためのベッドを設置した翌日、酸素吸入器を持参したところ、妹が泣きながら、母親は延命措置をしないことを選択しているから、酸素吸入器は受け入れられないと思う、と言った。兄に電話して相談するから、ちょっと待って、と言われた後、しばらくしてやっぱり受け入れられない、と妹はさらに大きく泣きながら言った。夫はそれを受け入れて、その家を後にするしかなかった。その兄妹の姿が自分達の息子と娘と重なった、と夫は言った。私が死に行く時の息子と娘を見ているようだと。

そこで思い出したのが、テレビドラマの話だけど、病気に冒されて死に行く男性が妻の気の済むまで様々な治療を受け入れようとしていたこと。もう無駄だと思っていても、彼女が後悔しないように、できるだけのことはすべてやったと彼女が思えるように。自分のためではなく、残される人のために。

残される家族に余計な負担をかけたくない、と思っていたけれど、それは経済的や時間的な負担のことだった。でも、気持ちの面では?

私は、心の準備がまったくできていなかった母の死と、老いて変わって行く姿を少しずつ受け入れた父の死を経験している。そして、残される方としては、心の準備ができていた方がいい、ということを強く実感した。母の死を心から受け止めて乗り越えるのに、20年以上もかかったから。それなのに、私は残される家族から、心の準備をする機会を奪おうとしているのかもしれない、と夫の話を聞いて思った。

夫に、延命措置に関する希望について変更する、と伝えた。最初は延命措置を試してみてほしい、でも回復する見込みがほぼないのであれば、いつまでも続けず、終わりにしてほしい、と。その間に、みんなの心の準備もできるだろう。できる限りのことはやったと思えるだろう。早くエンディングノートも更新しなければ。残される人々のために。

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